日記

日記です

フェミってるけどマンスプレイニングの話

最近になってマンスプレイニングという言葉を知った。それもスマホでヤフーを眺めていたときの「マンスプレイナーになっていませんか?」という啓発書的な文面のタイトルをタップして知ったのでなおさら癪である。

しかし"これ"に名前がつくのか!とびっくりした。
man と explainを掛け合わせた言葉で主に男性が女性に対して上から目線で解説することを指すらしい。
男性に限らず、なぜこの人に説明されなければならないのだ?という場面は多々あるけど、そういうの全般に使えると思った。

マンスプレイニング的な説明と単なるコミュニケーションの切り分けは難しいけど、なんとなく鼻につく言われ方に「あ、マンスプレイニングだ 笑」と言っていいなら気が楽である。
例えば私がジブリが大好きで、映画も何回も観てると言ったとき、別にジブリ好きではない上司に「え、じゃああそこ知ってる?○○温泉、なんだっけなー?あれ、なんか、あれの舞台になってるらしいけど…あれ?知らない?知らないんじゃーーーーん!笑」
という多分女同士であればマウンティングと言われるのかもしれないけど、なぜかジブリ好きでもないのに私の方が知っている感をアピールされ、嫌な気持ちになるこれ、これに名前がつくことで、明確なマナー違反として問題視してよいことになったという気がして胸のつかえが少し取れる。

今のはあまり王道な例ではないけれど、ネットではこれに関する"あるある"マンガなどが展開されていた。一番しっくりきた例がこちら。

エヴァが好きだという若い女2人に対して、隣にいた男性が、庵野秀明について語りだす。
「この人は特撮とか好きでシンゴジラもこの監督なんだよ~?」
女「あ、そうそう面白いですよね」と好きだからいろいろ掘り下げて調べていて知ってるということをやんわりと伝える。
何度かやりとりをして、女側のエヴァ好きという熱意だけやっとこさ把握した男性はこう断定する。
「あ~エヴァってキャラもイケメンだもんね~!カヲルくんとかシンジくんもさ~!」
とイケメンキャラにお熱だからエヴァに詳しいと決めつける。

このように、女性は無知だと決めつけて頼んでもいないのに解説する行為について、知的ハラスメントという言葉も使われていた。

確かに飲み会など複数の男女が一同に会す場面でよく男性は、「まあ、お洒落については俺はなにも言えないよ…笑」という他は俺の方が全て勝るけど、という前提がチラつく台詞を口にする。

そもそもそういう前提が違うよ、間違ってるよ、と声をあげてよくなってきたのだやっと。
今まで「男ってそういう生き物だよね~」としょうがないわねぇと言って我慢してきた、ないしは我慢できる女の方が我慢できない女より世渡り上手でお得に生きられらるし、何も知らない男はバカねという立場を取るのがいい女、という方程式だった。
言われる側が我慢することでうまく回る世の中だったのが、それは違うよ、間違った思い込みを振りかざして人を不快にさせてるんだから、やめた方がいいですよ、と正していいんだよ、に変わる可能性が出てきた。

これは画期的だと思ったし、この言葉が出て来たことで今まで「伝わらないのは仕方ない、我慢する」とやって来たこと自体おかしいのだと初めて気づいた。

そのヤフーの記事では他にも、主に会社において大声で話す、威嚇的な態度、非言語での嘲り(言葉以外でも鼻で笑うような侮辱)などもマナー違反としてマンスプレイニングにカウントされるとしていた。
男性に限らず、目上の人の中には言葉以外で圧力を加えて人を嫌な気持ちにさせる人は少なからずいるし、前から嫌だと思っていた。
これを聞くときっと「じゃあ何もいえないじゃん」「何でもハラスメントじゃん」と思う人もいるかもしれないけれど、言われる側は、今までずっと言われても我慢するという窮屈さを味わってきているんだし、今日からは言う側も、言われる側の"我慢と窮屈"を味わって、こういう窮屈さに押さえつけられていたんだと身をもって気づいてほしい。
そもそもその"そういう人だから仕方ないよね"が違うんだ、という始めての摘発だと思う。
その例の記事にあった言い方としては、
「社会のパワーバランスの適正化はまだ始まったばかり」
なのだそう。

ちなみに、この話をたまたまオフィスに女性だけになったとき、男性からの説明の押し売り、の部分だけを切り取って話題にした時、50代の女上司の反応はこうだった。

(一通りエヴァのようなやりとりを例にしたあと)
「いや、そこで、イケメンの名前だけ挙げるからダメなのよ!××みたいなブサメンも用意しといて、それも好きだと強調すればいいのよ!笑」

だそうだった。

私は思わず、それだとマンスプレイニングの本質から外れると言った。これは、見下したような解説をすること自体がマナー違反なんですよ、とそれを"やる側"に正してもらうための言葉のはずなのに、それでは言われる側が結局柔軟に対応してしまっている。それではセクハラされるのが嫌だから髭をはやして会社に行くようなもの。
と軽くフェミってしまった。

しかし、ここでいろいろと考えた。

やはり、会社で上にいく女性は男性的な価値観を持つ、あるいはよしとするタイプなのだろうか。

会社などに代表される組織的な社会そのものが男性的な価値観を"価値観"としているため、それがものさしと化してしまっているのだろうか。

マンスプレイニングという価値観は、今までその上司がやってきた、男性社会で生き抜くための知恵ややり方(言いがかりをうまくかわしたり、相手を持ち上げたり)を否定しているとも受け取れるものだから受け入れがたいのだろうか。

などなど。

前からその上司に対しては男好き(遊び人のヤリマンという意味じゃなく)の印象があり、男性をよく理解してますよ、という立場を取るし、男性ウケしそうな女性(かわいらしかったり、性的魅力を振り撒いていると受け取れるタイプ)に対しての敵対心が見える典型的なサバサバ姉御キャラと私のなかで位置付けているので、こういった男性のものさしを自分のものさしに適用している女性には受け入れがたい現象なのかもしれない。

ファンタスティックビースト観ました

単に主役がかっこいいので観たかったファンタスティックビーストをやっと借りました。

ハリー・ポッターシリーズも全部観てたけど、それは熱心に追うというよりはテレビでやってれば観る、くらいのものでファンとは言えないレベルでした。アズカバンの囚人はゲイリー・オールドマンが出てるという理由から高校生の時にDVDを買い、うろ覚えだけど謎のプリンスと死の秘宝あたりは友達と映画館に行った記憶もある。とはいえ、それは単に何か映画でも観に行こうか、ハリー・ポッターなら普通に面白いんじゃないか、程度の選択理由からだった。
そんなわけなので、ファンタスティックビーストも期待とかさして持たず、楽しめればいいや程度のものでした。だから後になって主人公のニュート・スキャマンダーがホグワーツで使われている魔法動物についての教科書の作者であるとかを知る。

映画は面白かったし、変で可愛い魔法動物もよかったし1920年代というレトロな時代設定も私好みだった。それと作者のJ・K・ローリングが脚本を担当しているというものよかった。
というのも、作者的にはニュート・スキャマンダーはハリー・ポッターシリーズであまり触れられていないので他人が書くのは難しいのではと判断したため脚本を担当したとか。
それもあってか、主人公が主人公っぽくない点も多く、それによって私はハリー・ポッターシリーズを読んでみようかと思ったほどです。

魔法動物の学者であるニュート・スキャマンダーが、とある魔法動物の飼育専門家を訪ねるためにイギリスからアメリカに行くのだけど、アメリカは魔法動物の規制が厳しくなっていて、さらに魔法界も厳密に管理され、人間界をやや警戒し人間とは分断して暮らしている風。なのに主人公はうっかり魔法動物を逃がしてしまって街は混乱、あといろいろアメリカの魔法社会の閉塞感に風穴を開ける役目や黒幕を追い詰める役目も結果的に担う。という感じのストーリー。
個人的には、人見知りで魔法動物と過ごす時の方が生き生きしていて、魔法動物は危険だと誤解されているのでそれを解きたい!と主張しつつも基本的にはおとなしくやや不思議くんっぽさがある主人公はナウシカみたいで好きでした。
容姿端麗な点も含めナウシカの男版ってこんなイイんだ、というのは発見だった。
それと魔法動物を飼育する姿を見てると、動物好きで動物保護と魔法動物に対する正しい認識を広めるために本を執筆中という主人公はなんと素晴らしい仕事をしているんだ!私も動物や自然のために役にたつ仕事をしたい!と涙が出てきた。笑


しかし映画の主人公にしては何か変、何か違和感があると感じていて、いろいろあるんだけど、わりとすぐ泣くし、だけど感情表現が豊かと言うわけでもないみたいで、怒ったり爆笑したりという場面はない。常に態度が曖昧で「あ、ちょっと動物逃げちゃったみたい…(困り笑顔)」という感じでマイペースなの?というつかみどころのない性格。後半、魔法動物の入った鞄(中は魔法で動物用の大草原になってる)がアメリカの魔法省に没収された時も、ここで初めて怒るのか?動物に手をかけるとなるとついに激昂?と思っていたら怒らない。動物に危害を加えないであげて!と心配して半泣きだけど、そもそも魔法省に鞄を引き渡す原因を作った相手役(準主役)を咎めるこもしない。
ええ?!という感じ。ここでお前のせいだ!と初めて怒ることで、観てる人の心情を代弁することになるし共感も増すので映画がより面白くなるのではないの?それに、ここで初めて怒ることで、怒ってごめん、というあの温厚なニュートがついに怒ってしまいその罪悪感は尋常じゃなかろうと観る人の共感を刺激するし相手役の女(準主役)との仲が深まる起爆剤にもなりません?なのになんで?
映画ならではの展開よりも、主人公の性格の一貫性の方が重視されている気がして謎だった。
やっぱりこういう点は原作者が書いた脚本だからこそ?
しかし個人的には、"映画らしさ"でもあるハラハラドキドキを引き出す目的で作られたステレオタイプな主人公的性格よりも、このキャラクターの一貫性を重視する(していると思われる)姿勢の方が好み。

そこで、ニュート・スキャマンダーってなんなんだ?と思い調べた。
(ちなみに、初めて知ったんだけどハリー・ポッター専用wikiみたいなものがあり読みごたえありました)

するとニュート・スキャマンダーは、ホグワーツの中でもハッフルパフ出身なんですね。

もう何か大納得した。だからか!と、だからあんまり性格が激しくないのか。ハリー・ポッターたちに比べると主人公性が薄い?と思っていたのでスッキリした。

以下うろ覚えですが、
勇気と決断力、騎士道精神を称えるグリフィンドール
(しかしやや向こう見ず)→ハリーたち
野心とリーダーシップ、狡猾さ重視するスリザリン
(しかし自己防衛も強く慎重になりがち)→スネイプ先生、マルフォイ
知性、機知、知恵を重視するレイブンクロー
(学習意欲旺盛で勉強に関しては野心的、独創的な科目を受ける生徒も多い)→ルーナ(不思議ちゃんゆえにハブられている)
勤勉さ、献身、フェアプレイ精神を重視するハッフルパフ
(寛容だが競争心に欠ける)→ニュート・スキャマンダー

なるほど!と膝を打ったのです。
王道主人公タイプのグリフィンドールがやんちゃばっかり、それを咎める参謀役になりがちでヒール系のスリザリン、優等生でガリ勉タイプのレイブンクロー、このクラスでは平和主義のイイやつハッフルパフ。

ハッフルパフ生だから揉めたりケンカしたりは嫌で(ニュートの場合は)動物に献身的なんだ!

と、思い納得しました。

そして、この4寮の設定があらためていいな、と思いました。どの性質も大事だし、この4つの性質がバランスよく配置されている人がきっと望ましいんだなと。(しかし多分そんな完璧な人はいない)
それに、どの寮にもいい点とマイナス点があって、もしも自分からは短所に思える点も、他人から見れば長所かもしれない可能性を教えてくれてもいると解釈。それは自分の短所であっても他人の短所であっても同じ。
そう思うと、すごいいい本だなって今更ながら感動し、頑張って原作を読んでみようかと思っている。

想像ですが、きっとこれを読んだ子供たちは、自分に対しても他人似対しても肯定的になれる素晴らしい大人に成長するんじゃないか、と勝手に予想し読む前から感動しています。

そんな、きっかけになったファンタスティックビースト続編は来年末の模様。遠い。

アナザーカントリーをみた

裏切りのサーカスを観るならアナザー・カントリーもぜひ観てほしい。

キングスマンをきっかけに、スパイとパブリックスクールに関心をもったためアナザーカントリーも観たのだけどよかった。

アナザーカントリーはスパイ映画ではないが、二重スパイを行いロシアに亡命したイギリス人にインタビューする冒頭にはじまり、彼が学生時代を回想する形式である。

パブリックスクール、主にイートン校(イートン・カレッジ)を調べていて、これはちょうど最近テレビで「ハリー・ポッターみたいな学校」と紹介されていた場所ではないかと思い出した。
学校の雰囲気も去ることながら、パブリックスクールについて調べたあとハリーポッターを観ると、学校の制度や寮の暮らしなど、魔法の世界の話だから、と思っていた部分が、そうじゃなくて実際のパブリックスクールに沿っていたんだと分かる。

イートン校を調べて印象的だったことは複数あるが、例えば成績優秀者だけが集められて10人くらいでみんなと違う食堂でランチを食べられるとか、特待生みたいな人はマントをつけているとか(そもそも制服が燕尾服)、寮長や監督生がいるがそれは優秀な人が就き、制服のボタンが金ボタンとか、ジャケットの色が違うとか、ベストを好きなデザインに作っていいとか、成績やスポーツの優秀者やリーダー的な役に就く人は優遇される制度であること、そうした監督生は他の生徒に罰を与えることができるなど、基本的には上に行くほどいい思いが出きるし、そのことをオープンにしているスタイルに驚いた。
政治家など多く排出している学校だけあって、向上心や競争心の教育に余念がない印象を受けた。

ちなみにアナザーカントリーにも鞭をうつシーンが出てくるし、ハリーポッターでも悪い行いをした生徒がひたすら念書をかかされるシーンなどがあった。

こうしてパブリックスクールについて調べると、関係ないかもしれないが、ハリーポッターについての淡い疑問が解けた。

単にストーリーの進行上必要なのかもしれないが、至る場面でハリーが優遇されていることが疑問だった。校長から可愛がられているし、いろいろ過去があるいわくつきでスゴイ魔法使いだからしょうがないけど、難題に立ち向かうチャンスが多く与えられているし、ルール違反に見えることでも、生徒にその資質があると見なされれば多少のルール違反もOKとされている、ともかく軽く贔屓されているな、と思っていたのだ。
しかしパブリックスクールの仕組みをみれば、それは彼らにしてみればルール違反でも贔屓でもないのだとわかった。

アナザーカントリーは名門男子校であるイートン校が舞台である。
みんな寮に住み、父親がここの卒業生である人が多く、裕福で家柄もよく頭もよい生徒が入る学校で、ほとんどの人が監督生などなんらかの役員になりたがっており、主人公も例に漏れず来年は監督生に指名されるだろうと期待している。(エリートを突き進む上で就職に影響が出るので)
そんな学校でも、その仕組みに迎合しない人やルール違反をする生徒はおり、それが主人公とそのルームメイトである。
主人公は夜に寮を抜け出したりする不良で、おおっぴらに行動もしていないが同性愛者であることも隠さない。映画の舞台は1,930年代で同性愛は犯罪である。
ルームメイトは共産主義に傾倒しており、目立って反抗したりはしないが監督生などには興味がなく、学校の制度にもそうした生徒にも冷ややかな態度を示す。ちなみにコリン・ファースがこの役をやっている。

冒頭は、ある生徒が男性同士の行為中の現場を先生に見られ自殺するところから始まる。


この映画について調べると、やはりBL好きの人に人気らしかった。
直接的なシーンはほとんどないが、美男子同士がデートしたりお互いにドキドキしながら逢瀬を重ねるシーンがあり、BL好きでなくともほほえましい。
というのも、同性愛が犯罪という時代背景を抜きにしても、将来エリートを望む生徒であれば、マイナスイメージのスキャンダルなどないほうがいいし、今も昔もマイノリティは理解されないのだ。
そんなエリートであり野心家である彼らが10代らしく恋のときめきに揺れる姿は応援したくなった。その先にハッピーエンドはないと分かっているのでより切ない。

この映画を観ると、BL好きの人がなぜBLに惹かれるのかなんとなくわかる気がする。

映画のラストで亡命し老齢になった主人公が「クリケットが懐かしい」と言い幕を閉じるのがすごくいい。
クリケットはイギリスのスポーツで、ロシアにはないらしい。
映画の中では、主人公が一目惚れした(まだ付き合う前)別の寮の男子生徒に、クリケットの試合であからさまな優遇をした審判をしたり、共産主義のルームメイトと、クリケットを学校やエリート社会になぞらえ揶揄するシーンがある。

クリケットは馬鹿馬鹿しいかもしれないが、輝かしい青春の思い出であり、今はもうできない。
それを思うと余韻が残るラストでとてもよかった。




ちなみに、イートンカレッジを検索すると紗栄子の息子がイートン入学?みたいな記事がたくさん出てくるので楽しい。

ラ・メール 裏切りのサーカス

2週間ほど前キングスマンを借りた。ずっと黒渕眼鏡をかけたコリン・ファースがよくて観たいと思っていたのだ。借りてみると監督はキックアスのマシュー・ボーンでコメディ寄りのスパイアクションで面白かった。
そこに出てくるセリフに「マナーが紳士(男?)をつくる」とあり、ここで言う紳士とは、私たちが思うきちんとした小綺麗なレディファーストする男性、とは恐らく違うだろうと思う。そこでイギリスにおける紳士とはなんぞ?からスタートし、イギリスについて調べはじめ、避けて通れない階級の話にいきつきイートン校に興味が湧きパブリックスクールの本を買うまでに至った。
同時進行で、コリンファースが良かったので彼の映画も借りまくっていた。
ちなみに、コリンファースが出演するアナザーカントリーという映画は、主人公が実在するスパイ(の回想)で舞台がイートン校だった。そのスパイと共に働いていた別のスパイを題材にした映画が裏切りのサーカスで、こちらもコリンファースが出ている。スパイ、イートン校、コリンファースが繋がった瞬間であった。

裏切りのサーカスが良かった。
久々に、もしかすると年に100本以上観ていた高校生ぶりに社会派ドラマをレンタルしたかもしれない。
はじめは観ていてたるくて、途中から「あれ?もしかして面白い?」と思い始めた時にはもう話しの7割が過ぎていた。レビューにも2回観たくなると書いてあったのを思いだし律儀に2回観たのだが、2回目はすごく感動した。2回観てよかった。

ちなみに主演は中3から高校生にかけて好きだったゲイリー・オールドマンである。
原作を書いたのは本当にMI6にいた元スパイというのだからすごい。派手な演出や臨場感のあるBGMなどもなく、視覚と集中力が頼りの映画だった。二重スパイを探すというストーリーだったがアクションではないためスパイ映画によくあるカーチェイスや小型盗聴機や銃撃戦はなし。
そしてサスペンス、ミステリーに分類される映画だったけど、犯人探しの過程よりもラストで感じる人間味、人間臭さみたいなものにものすごく感動した。
ストーリーのメインは二重スパイ探しだが、大きくスポットライトを浴びないサイドストーリー、サイド設定?が感動を誘った。

主人公は冷静沈着で明晰で二重スパイ犯も「こいつにはバレてるのでは?」と思うほどの人物だが、奥さんが浮気性らしい。回想シーンでも奥さんは浮気をしていて、現在も奥さんは家を空けているし、いつものことのようで主人公は慌てたりしない。しかしそんな妻からもらったライターのことをいつまでも忘れておらず、心底愛してる感が伝わる。

私はまんまと思い巡らせてしまったのだが、見終わった後心底謎だった。主人公は冷静沈着、頭脳明晰、しかしよくあるハンター気質のプレイボーイという風情はなく真面目で信頼できる仕事人といった風で、なのになぜあんな扱いづらい嫁といるのだろう?いくらでも自分にとってメリットのあるもっと扱いやすい嫁を探すことはできたし、その明晰さやその性格からも、そうした理性的な判断の下に結婚相手を選ぶことくらいできただろうに。と考え終わったタイミングで、「ああ~」と深い納得のため息が出た。

どれだけ冷静な判断ができ、いつも正しい方法を選び取れる頭脳をもっていても、理屈じゃない、わからない何かに振り回されることがあるのだ。そしてそれが私たちが人間たる所以であるという気がした。

映画ではラストも含め、明晰なエリートが「なぜ?」という行動をとることがあり、犯人探しの過程でもその道筋に腑に落ちない箇所があり、論理的に犯人の手口を説明できない。
しかしそれは、やはり情みたいなものが人間に迷いを起こさせた結果、不合理な行動をとるのだとすると合点がいくし、これはミステリーではなく人間ドラマなのだと思わせた。

どなたかのこの映画の感想ブログにて、ラストで流れるラ・メールは映画では原詞のフランス語(海を題材にした歌)を使っていたが、実はこの歌には英詞版があり、そちらは歌詞がラブソングになっていると書いていた。ついでに、ラブソングの英詞版を使わないところがイギリスっぽくていいと書いていて、私もいいと思った。

映画は全体的に静かに進み、大袈裟な号泣シーンや誰かが辛い心情を吐露しカタルシスが盛り上がるシーンもない。それでも感動する。

ラ・メール 多分みんな聞いたことあるはず
https://youtu.be/ftcnABNVQYk

14年変わってない

そしてラブアクチュアリーを借りてみた。

クリスマス映画っていうジャンルがあって、そしてそれは奇跡出血大サービスなんだ、と念頭において観れば楽しめたかもしれない。

起承転結の起→結が二時間…という感想だった。(承転が無い)
複数の男女のクリスマスまでの数週間を描いてる。冒頭の空港のシーンに始まり空港で終わる。冒頭のナレーションが多分言いたいことの全てで、恋人、家族、友情、人の数だけ愛があるということなんだと思う。

さまざまな何でもない人の何気ないでもちょっと特別な1日、みたいな話は割りと好きで、そういう映画は私のような人のそれなりな人生でもこの映画のようにたまに煌めく一瞬が、あとから思えば今日が、あるいは明日が、あるいは昨日がそれになるかもしれないんだよね、と思わせてくれたりするので感動したりするんだけど、ラブアクチュアリーはピンとこなかった。

せっかくうまく行きそうだった恋を選び取らなかった場面とか良かったけど、全体的にハッピー要素多めで、やっぱクリスマスだからファンタジーみたいな絵本みたいな感覚で観るもんなのかな。

私には「200本のたばこ」(高校生の時に観て最近また観た)の方が合っているかも。
ちょっとなげやりで安い1日を切り取った話の方が好き。こんなゴミみたいな日でも10年経ったら大事な思い出になってるんだよな、と思っても感動するし、逆に、これ以上ないってくらい最悪な日だったのにこの人たちも5年も経ったら忘れちゃうんだろうなと思っても感動する。


ラブアクチュアリーから14年、14年借りようかな、いや、を繰り返してたという事実に驚愕して借りたけど、14年前に観ても同じ感想だったんじゃないか。

だとすると、やっぱり私は14年変わってない(成長もない)。

ラブアクチュアリーから14年

ブコメ映画「ラブアクチュアリー」の続編があるらしい。前作2003年制作なので14年経っており、14年後という設定らしい。
しかし、私はラブアクチュアリーを観たことかない。

しかしラブアクチュアリーが14年前ということに愕然とした。
私が映画にハマり年に100本以上観ていたのはこの頃だったと思うが、それから14年が経っており、その後もまあまあ映画は好きな方だが昔に比べるとあまり観なくなった。
しかし借りる借りないに関わらず、ツタヤには3ヶ月と開けず行っていたが、私は結局14年間、ラブアクチュアリーを借りようとして借りなかったのだ。

ラブアクチュアリーを手に取り「いやいやいや、そんなおもしろくないっしょ」と棚に戻す、を14年繰り返していたのだ。

観ることもなく、観ないとも決断せず、なんとなく軽い恋愛ものの映画を観たい気分の時の選択肢としてぼんやり頭の片隅に置いたまま14年が経ったのだ。

観るとも観ないとも決めなかった14年。思考も志向も嗜好もなにも変わっていない14年である。
14年間私はなにも変わっていない、つまり成長もしていない、と思い驚愕である。

ラブアクチュアリーを借りてしまおうと決めた出来事だった。

行かないナイトアクアリウム

私が、先週平日休みだったある日、突如来週ナイトアクアリウムに行こうという誘いが会社の部のラインのにあった。
それも、そのラインのやり口が私の嫌いなタイプで、みなさん○日暇?と急に予定だけ確認してくるもの。当然私は皆の出方を待っていたのだが、だれも返さないうちに、ナイトアクアリウムにみんなで行こうと、女の部長が提案したのだった。

私はとりあえず急な誘いだし…と思ってひととおり皆の返事(だれも断る人がいなかった)をまってから、予定があって行けないので皆さんで、と断った。

すると、じゃあ月曜日は?じゃあいつがいい?合わせるよ、と、ありえないやり取りが続き、私も意地になって来月の後半なら…というだいぶ先の提案をした。

するとじゃあ無しにして、来月食事会をしよう!となったのだが、私はそんなの許さねえぞと心のなかでキレた。だって許せない。

皆さんでどうぞを察しろよ!しかも私のせいで中止みたいじゃないか!それと何より他の人たち。

他の人たちだっておそらく生きたかないだろう。行っても行かなくてもいい、断る労力と天秤にかけて、特段断る理由もないのだし流れに身を任せる方がラク、そういう判断だろう。
それを私が戦って勝ち取った"行かない"の恩恵を何も戦わなかった人にまで享受されるなんて許せない!
なので私のせいで中止なんて荷が重すぎます。みなさんで行ってきてくださいねm(__)mと念押しした。

そして決行された当日。夕方になって急に30代の子持ちやんちゃ系社員が「嫁が風邪で…」と断って帰った。

やると思った。

やると思った~~~。

今朝は「うわーうまそっすね~いいっすねー楽しみだなぁ~!」とかホームページみて言ってて白々しいと思ってた。

最初っから行く気ないんだったら、あの時点で断れよ。ドタキャンかよ。

とは言えども私は関係ないので怒る権利はないんだけど。

しかし、ドタキャンってそれだけその人にとってドタキャンされる側の価値が小さいということの現れよね。


それにしても、いったいなぜナイトアクアリウムは提案されたのだろうか。
でも去年も似たようなイベントに急に誘われた記憶がある。急すぎて断ったんだけど。
もしソレとコレとが同じイベントだとしたら、そんなにも行きたいなら一人で行ってほしい。なぜに会社の部下を引き連れて行かねばならんのだ、というか自分の予定や欲望に巻き込むことができるのだ。
しかし、しばしばリーダーとは集団を私物化する。


何年も前、ゼミ旅行で沖縄に行った時のこと、ホテル以外の観光には、なぜかゼミの違う沖縄出身の編入生が一緒だった。案内役みたいな形だったのだが、そんな茶番を誰が信じるのだろうか。
だいたいその前から不審な点はあった。
幹事がゼミ旅行の時期をかたくなに変更したがらなかったり、海外旅行好きの幹事がそもそも沖縄に行くと提案したり、挙げ句どういう理由か、下見という理由だったが幹事だけが前のりしているのだ。
当然例の沖縄出身ボーイが一緒であった。

しかし私はゼミ旅行が沖縄になったときから沖縄ボーイが関係しているとは思っていた。しかし、沖縄に行くという相談としてダシに使うのかと思っていたら、まさかその上を行く、沖縄で合流し疑似デートする運びだったとは。

ちなみに、私はあまり面識のない沖縄ボーイだが、幹事がお熱だったことにいつから気づいていたかというと、就活が終わり卒論の時期になった頃に、どういうわけか幹事が同じゼミの男子をしきりに映画に誘っていたことがきっかけである。
その男子も編入生で幹事も編入生のためわりと親しかったものの、わざわざ休日に映画を観に行くほどではなかったし、幹事がその男子が好きということもなんとなくありえなかった。
なのになぜこんなしつこく誘っているのか気になっていたところ、どうやら例の沖縄ボーイが一緒らしかった。
つまり、沖縄ボーイと映画に行きたいがために、仲良しの編入メンバー映画に行く、という体をとりたかったのだ。
たしかにその方が沖縄ボーイも来やすいし、まわりからみても自然である。
しかし、よくよく観察すると少し違う。
なんとなく、幹事の口振りは遠回しに遠回しに「無理なら来なくてもいい」という言い方をしているのだ。もちろん来なくてもいい、なんて言い方はしない。ただ、幹事はすでに卒論を書き終えたものの、その編入男子は就活が長引いたこともあり、卒論に余裕がない状態であり、それはゼミの皆が周知のことだった。そこへ今度の休日は3人で映画に行くわけだけど、卒論が間に合わない君は来ることができるのか?(いいや、できないだろう)という話法で、なんとか彼の口から「行けない、お二人で」を引き出そうとしていたのだ。
と、私は断定する。


この、リーダーは私物化する、の話とは逸れるが、私は他人から自分の言ってほしい言葉を引き出そうとするやり口が嫌いである。
自分の都合で決めるのだから、せめてその判断は他人に委ねないでほしい。
というか、そこの判断まで他人に委ねてかつ自分に都合のいい言葉を引き出させることにずるいことをしている、という引け目を感じないのだろうか。