日記

日記です

T2を観た

映画評論家の町山さんが確かT2を観た感想を「人は変わらない」と言っていた気がするけどまさにそう思う映画だった。

トレインスポッティングは高校時代、美術の授業をきっかけに仲良くなった映画好きの子たちに勧められて観た。
映画を観る前からレンタル店でもジャケはいつも表にしておいてある映画だったし、ヴィレヴァンなんかでもポスターやポストカードでよくみかける、映画よりも先にヴィジュアルでは知っていた。
もちろん観てみたらスタイリッシュでかっこいいので好きになった。

この映画が公開される1996年(たしか)までは、スコットランドが舞台の映画というものは世に出回っていなかったらしい。
そういえばイギリス映画となっているが、舞台はスコットランドなのか、というのは最近調べてから改めて認識した。

トレインスポッティングでは、田舎町のグズグズな若者がまだまだ未来が長すぎる故に行き詰まりドラッグ漬けになっていた。映画はドラッグを絶とうとしてまたしても数時間で挫折するところから始まった。何度も仕事をはじめて真っ当になろうとしては失敗してドラッグに逆戻りする。
ラストは大量のヤク密売で得た金を主人公が持ち逃げして終わる。
T2はそれから20年ほどたった設定である。
主人公レントンはイギリスでサラリーマンをして結婚もしていて、仲のよかった友達の一人サイモン(元シック・ボーイ)は地元で売春の斡旋を生業として、もう一人スパッドは薬物依存の更生セミナーに通い、つるんでた中にいた切れやすい問題野郎ベグビーは刑務所から脱走したところ。
みんなまだ地元のスコットランドにいるところへレントンが母親の死をきっかけに帰省する。
ところがそこでまたドラッグも再開してまともな仕事もドロップアウトしてしまう。

人は変わらない。と早くも思った。
レントンは実は夫婦円満ではなく、最初子供がいると言ったがそれは嘘で離婚が決まり家を追い出された。
そして最近突然の入院と手術で年齢的な体のガタがきていることを実感し、学歴のないサラリーマンなので最近合併した会社において自分がこの先居場所がなくなることも予感していた。
中年になり自分の老い先が見えた頃、この先にこれから始まる"何か"は無いのだと透けて見えた時、
再び人生がどん詰まりになる。すると結局かつての仲間とつるんでドラッグを楽しむ生活に戻る。

状況がまた悪くなれば人はまたダメだった時の自分に戻る。
刑務所に入っていたベグビーも更生の気配はなく、脱獄して盗みをして、最悪なことに大学に通っているまともな息子に加担させる。

いつでもみんな簡単にダメになれる。

人は変わらない。

しかし、人は変わらないにも唯一の救い(あるいは学習能力がない)があった。人がいいスパッドは最後まで友達思いのいいやつで、その姿を見ると、そうだった、そういえばこいつだけは誰のことも傷つけたり裏切ったりしたことなかった!と、中年になってグズグズ感が痛々しさへかわりつつある中だったので少しホッとした。

たいてい2というものは期待できないので、一応借りとくか、という気持ちで観ていたが感動したしよかった。
それに前作で出てきた懐かしい顔にも再会できるので、おお!あいつがこうなったか!という親戚のおっさんの気分になった。
なぜか親戚のおばさんではなくおっさんの気分。

それにしても、高校以来もう地元に帰るつもりのない私としては、こうして地元に若い頃の元カノとか、幼馴染のアイツとかに、犬も歩けばぶち当たるというのがどういう感覚かわからない。

帰省したときなど、時々母が「○○ちゃん二人目生まれたって」と情報提供をすることがあるが(あるいはプレッシャー)私はいつも「へぇ」以外の感想がなかった。
だって私の向いている方向、興味の先、と、○○ちゃんのいる場所はまるで明後日の方向、または別次元であり、かつ私たちは私たちの親ほど仲良くないのだ。
例えば私が道を歩いていて、まったくの同タイミングで目が合えば挨拶くらいはするだろうが、すれ違い終わった後にお互い気づいても、わざわざ振り返って呼び止めたりはしないだろう。

地元の友達とはほとんど縁が切れている私には、"あの頃…"と子供時代のノスタルジーを共有する場面には感動したものの共感はなかった。

このトレインスポッティングというタイトルの由来は諸説あるらしい。2の中でもトレインスポッティングという言葉に「鉄道ファンか?」という訳がつけられていた。
しかしネットで色々調べていたところ、一番しっくり来たのが以下の説。
廃線になった操車場にはならず者みたいなのが集まってヤクをやっていたため、ヤク中のたまり場となっていた。そこからヤクをやることを、トレインスポッティングする、ヤク中をトレインスポッターという呼び方になった(たしか) 。つまり、トレインスポッティングとはドラッグ中毒の隠語である。

という内容の誰かのブログを見つけたことがある。
さらにそれを、記憶だけを頼りに書き起こしたので信憑性は100%とはいえない。

コンサバ女子と食事が終了

コンサバ女子との食事が終了した。
終始和やかでマウンティングをされることもなく、オフィスの悪口で終了した。
生産性のない時間ではあったが無害な時間となりよかった。
というのもある出来事が一役買っている。というか、癪な話であるがその出来事のせいで女子会が霞んだといっていい。

同じ部署の40歳男性が結婚するのだ。

少し食事に遅れぎみになっていた帰り際、パソコンを閉じようとしていたその時、営業部の部長と、私ら同じ部署(部長以外)のメンバーだけになったとき、軽く周囲を一瞥し、改めて今ここに残っているメンバーを確認してから
「ちょっとご報告がありまして」
と切り出した。
40歳の隣のデスクの女性の先輩が無邪気に「なになに結婚?」と聞くと「あっ……っそう…なんです」

と落ち着き払って答えた。
すべての人に一瞬緊張が走ったと思う。なぜだか緊張が走ったきがするけど、一応30代後半の先輩が努めていつも通り「相手は~?」と聞く。
私はなにも言わず話を聞いていたが、どうやら最近別荘を建設していた過程で、その建設会社の娘と知り合い一ヶ月ほど前からお付き合いをしていたらしい。
一ヶ月…?
誰もがここで詰まってしまうが話をすすめると、まずは何らかの集まりでその彼女をみたそとがあり、割りと気に入ったらしく、彼女の父親、つまり建設会社の人に軽く話してみたところ、父親の方が仲をとりもって紹介してくれたらしい。

そして一ヶ月で結婚を決め、来年入籍予定なのだそうだ。

先ほど女性の先輩、それもべつにデリカシーのないおばちゃんタイプではない先輩が、真っ先に結婚?と聞くくらいそれは誰もが予想しなかったことだった。
ちなみに部長は知っているらしく先に報告していたとか。
なぜ今切り出すのかというと、おそらく来週に控えた忘年会で公式に発表するためだろうか。
あるいは、どうもその日はたまたま縁故のある会社の関係者が来社していたため、その流れで副社長らに結婚の報告を済ませていたらしい。(そういえば、ひそひそとなにか話していた)

と、言うわけで、私はコンサバ女子にこのことを真っ先に話したため、食事は終始、この40歳と結婚する女性がいるなんてありえない!という話題となった。
なんでも相手は32歳だそうで、私としても40歳男性が、「自分より8歳も年下の嫁をもらった」と日々誇らしげにほくそえんでいるのかと思うと癪である。喜んでいるだろうな、これでもう部長からの「だからモテないんだよ!笑」とか、その他お決まりの独身バッシングとはおさらばである。

そんなわけで、女子会は平和に終了した。

スタンダードで来たのか

ああ憂鬱だ。いよいよ明日、というか今日だ。
コンサバ女子と食事だ。
私は大学時代も苦手な人や遠いジャンルのタイプとご飯に、それも一対一なんてもってのほか!行ったことがない。

行けば楽しいよ、は却下する。経験上、行けば楽しい、は、行かなくても楽しい、と同義である。
行けば楽しいよの楽しさは、例え行かなくて家に帰ってテレビを観てたとしても得られる楽しさと同程度である。

なぜ誘うのかについては1年以上前に考えて、そして答えもでていた。
人はわかりあえる、仲良くなれるという前提の人なのだ、という答えである。
理由としては、おそらく世の中の価値基準と自身の価値基準というものの一致する割合が高いために、世の中のどこへ行っても、わりと納得できる出来事、共感できる体験が多かったのではないか。

例えば最近、彼女のことではないが取引先の来客があった際、そのいかにもきちんとしたOLらしい女性、つまり女子アナのような爽やかで明朗な雰囲気のその女性は、淡くピンクがかったアイボリーの膝竹のダッフルコートを着ていた。
私は趣味じゃないので手に取らない見向きもしないであろうデザインだったのだが、おそらく明日食事に行くコンサバ女子はその系統には近いだろうと思う。
彼女達はおそらくマ○イで服を買うはずだ。

私は会社にお弁当を持っていっているが、それは単にご飯とおかずをタッパーに詰めただけのものである。この間彼女はとてもかわいくデコったオムライスを持ってきていた。きちんとお弁当箱に。
ちょっと社内で注目されたため、私もお弁当を覗きに彼女の席まで足をはこび、社内の皆と一緒に「すごーいかわいー」と声をあげた。
お弁当はかわいくきちんと詰められていて、おいしそうだしキレイだった。私は逆で人に見せられる代物じゃないし見せたくないので人が側を通るときは蓋をしたりしている。
しかし、これ以上のレベルのものを作るつもりもなく、食べられればいい、程度の意気込みである。

アラサーちゃんはサバサバちゃんが嫌いだけど非モテちゃんのことは無害なので嫌いではないだろう

セーラームーンが好きでホームステイ経験があり、学生時代はチアの強豪校でチア部に所属していた見た目の系統がアラサーちゃんな同僚と食事にいく。

アラサーちゃんにおいて、アラサーちゃんと競いあいつつも友情もあり、アラサーちゃんが唯一女として認識していると思われるキャラはゆるふわちゃんである。と思う。
しかし漫画を読んでいても、アラサーちゃんにおいてはやはり、女として格が上なのは、主人公である私なのよ!という臭いがする。
ちなみに、私も同僚からは私に対して、私の方が女として格が上なのよ!という気概を感じる。

アラサーちゃんでのゆるふわちゃんは、やさしそうで儚げな雰囲気からモテモテで、対してアラサーちゃんはセクシーな体型や服の好みなどからも遊び人的な目で見られ損することも多い、という設定かと思う。しかし、ゆるふわちゃんに一杯喰わされながらも、アラサーちゃんの欠点には致命的な箇所がないような気がするし、アラサーちゃん自体も損することがあっても、雰囲気より容姿そのものがより女、いや、メス、ナオン、っぽい女の方がそれ以外の女より上なのだ、と言っているように見える。
そういう点も含めて、同僚はアラサーちゃんという感じで、おそらく私は彼女から非モテちゃんと認識されているだろう。

だから暇潰しに誘うことができるのだ、と現時点では思っている。

セックスアピール合戦には興味がなさそうでマウンティングもしてこないし、容姿の女度が高い人に対して批判的な意見も持っていない。

そんな相手なら害がなさそうだし、自分が負けているような悔しいような思いをさせられる危険性も極めて低い、暇潰しに誘うにはまあ妥当といったところだろう。

今日はネットでいろいろと、好きでもない人、合わない人を食事に誘う人の心理を検索していたが、あまりヒットしなかった。しかしそのなかで、どうも世の中には苦手だから、嫌いだからこそ仲良くなろう、という人種がいるらしいのだ。
自分のことをあれこれ話して、むりやり共通点を作り一緒に共感できるものを作ることで、気が合うと自分に錯覚させる方法らしい。

それ、相手は無理して合わせてるだけで本当は迷惑なんじゃないの?

なんて思ったりしたが、前向きな解決方法に分類されそうだ。

自分より下だと認識している相手であれば、失礼があってはどうしよう!アタシどういう人だって評されるかしら?などという不安などとは無縁だろう。うらやましい。

はじめてまともに会話したときは、たしか社内の女性だけでランチしたとき、誕生日の話になって彼女の誕生日が知人と同じだったため、「あ、友達と一緒です」みたいなどうでもいいことを言った。その時彼女は、少し迷惑そうな顔をしたように見えたし、私が作りかけたノリには乗らなかった。

私も意味わからないことを言ったが、彼女もにこりともせず、よーーーーーーく目を凝らせば口元が少し上がったような気がしないでもない、という程度だった。

そんな相手に心を開けと言われても。(言われてはないが)

お金がないので無駄な出費がとにかく痛い。

ひどいと思った~コンサバ女子と食事の約束~

帰り際チケットの話題になりそうした流れから他の先輩に話題を振られたため、チャラのライブにいくと言ったら「え?サラ?」と聞き返され「あ、チャラのライブに…」と言い直したがよく聞こえなかったらしく「あー…」と軽くうなずきながら曖昧な返事をされた。
一体なぜ彼女は私と食事に行きたいのだろう?
見るからに彼女とは趣味の接点がなく、彼女もさして私という人には興味がないはずである。

以前から、記憶をたどると入社した2年前からかもしれないが、なにかと「今度行きましょ♪」と声をかけられることが多かった。
しかし、私たちはどう見ても会社の同僚以外の接点がなく、誰がどうみても話も合わなそうなのだ。
が、おそらく"そういう人"なんだろうと思い社交辞令として受け止め「いいですね~」と笑顔で言い一通りのコミュニケーションタスクはこなしていた。
ところが、それ以降も何度か飲食店の話題→今度行きましょう、というやりとりがなされ、あれ?本気なの?と思いつつお店のホームページを開いてあれこれ感想を言い実現しない、ということを繰り返した。
正直ほっとしていた。
私としては、おそらく社内でも明るく何かと副社長の付き合いの飲み会にも駆り出される社交家的ポジションを自覚しているからこそ、社内で私と飲みに行きましょうという声かけ運動をしているというパフォーマンスを、営業さんや副社長なんかに披露する必要があるのだと思っていた。

私が彼女との飲み会を避けたい理由は主に二つある。
一つは合わなそう。
もう一つは彼女にいい印象がない。
である。
合わなそうというのは、趣味全般である。服の好みやその他生活のもろもろで共通するものがなく、私自身も彼女が好むものへの興味がほとんどない。

彼女の好きな海外ドラマや(私も海外ドラマは好きだけど熱心ではない)、海外のアーティスト(日本にもライブに来たが私は知らない人)、アネキャン的な服、本当に雑誌やテレビで見るパンケーキ屋さんに行っていること、そしてその写メを見せてくること、過去にホームステイをしたホストファミリーと今でも交流がありそこの家の子供をとても可愛がっていてその写メをみせてくること、など、彼女に関する全般にとくに興味がない。
毎回、適宜感じのよい感嘆文をのべている。

彼女にいい印象がない、というのは特別彼女がなにか悪いことをしているというわけではない。
誰にでもあることだが、彼女の場合イライラを隠さない点が苦手である。
毎回ではないが、営業さんが手薄になっていて彼女しかいないときに、何か作業中に電話がなったときなど「っうわぁ~~!!!」としかめ面をし、声をもらしてから電話に出る。
電話にでないタイプの営業さんへの当て付けの意味も込められているらしいが、こうした態度が威圧的で怖いと感じるため苦手である。
また、宅急便など荷物が届いたときも舌打ちしかねない勢いでドアまで行き、ものすごく不機嫌に受け取りをする。
私としては、宅急便の人という他人に、個人的な怒りをぶつけることは考えられないため、こうした態度には不信感を覚える。ニコニコ対応しないにしても、無で受けとるタイプだと自分では思うため、感情表現豊かな彼女に親近感は覚えられない。

そんなイライラを隠さない、むしろアピールしているようにも見える態度と「ご飯行きましょ♪」を並べると、裏表のある人という評価になる。

そんな彼女からは(当初はただの社交辞令だとおもっていた)食事のお誘いが度々あったものの、幸いすべて実現しなかった。

ところが、ある休日、彼女からラインがきたのだ。強調するが休日に。
どっかで食事した写メと、今度ご飯行きましょう、というラインだった。
とりあえずいつものように「いいですね~」と返す。すると残念ながら「いつが空いているか」という具体的な話になってしまった。
そして、決行される日が決まり、彼女は店を予約した。

私はこんなにも逃げていたのに、ラインで数週間後の日程をおさえるなんてひどい。
そう思った。

一体なぜ食事にいきたいのだ、私と二時間ほど過ごして何が楽しいのだ、無駄なお金を使いたくない…

しかし理由はいくつか考えられる。
真っ当な理由から想像していく。
1、社内の円滑なコミュニケーションのため、得意ではない人とも飲みにいく
2、同僚というものは交流があるものだ、という考え方の持ち主
3、仕事の愚痴や誰かの悪口を言うのはやはり社内の人の方が盛り上がる
4、誰でもいいから誰かと一緒にいたいタイプ
5、何か私に言わなければいけないことがある、または誰か(あり得るとすれば副社長)から私になにか伝えるように密命を受けた
6、ねずみ講の勧誘

可能性としては3かな?
5、6、も捨てきれない。

しかし私にもメリットはある。上司の愚痴を言い合える、社内の暴露話がきける、私から唯一ある要望をそれとなく副社長へ伝えられるかもしれない。
なと。
ちなみに要望というのは、社内では誕生日の人が図書カードをもらえるのだが、私の場合年末ということもあり、毎回仕事納めの軽い社内飲み会の際にサプライズケーキと「おめでと~~~!!!」があり当然それにみあったテンションでこたえられないためもう終わりにしてほしい、というもの。

しかし私はやはり彼女をある面で信用はしていない。仕事上は信用しているが(やらなきゃないことを忘れたりしない、など)人としては信用してはいないため、やはり私を食事に誘うこと自体に不信感がある。
彼女は知り合ったばかり?の仲良くないそれも好きではない友人(知人)と海外旅行に行ったという実績がある。それは彼女からの帰国後の愚痴とdisりで知った事実。
行くなよ!!!

これまで関わらないようにしてきたタイプだし、おそらく彼女は軽く私のことなど見下していると思うので、いよいよ来週に控えた食事(女子会 笑)への期待感は0である。

カップルと謎解きゲーム

脱出ゲームというものに初めて行った。
私たちは友人同士で参加し、女3男1という最近のいつものメンバーだった。1チーム6人というルールのもと私たちのテーブルにはカップルが追加された。
グイグイくるアグレッシブな人と一緒だったらどうしよう、と心配していた私たちは大人しそうなカップルでほっとし、どちらかといえば私たちがゲーム進行の主導権を握る形になった。

そのような流れなので当然私たちは楽しく、ほんとのところはわからないが、カップルも帰り際楽しかったと言ってくれた。

本題。
カップルは実はカップルではなかった。
最後のアンケートを書いたとき、誰と来たかの欄で友人に丸をつけた私は、暗闇になったのをいいことに、隣の席の「彼女」の方が恋人に丸をしたのか確認したのだ。
なぜわざわざ確認の必要があったのかというと、彼女はメイク薄めのナチュラル美人で感じも良く控えめな雰囲気ながらも暗さはなく可愛い人だったために、メタルフレーム四角メガネに中肉中背の彼と並んだとき、カップル?友達?と判断が難しかったのだ。

私は帰り道、店を出るなり「あの二人カップルじゃなかった」とみんなに報告。

しかしカップルじゃなかったとなるといろいろと合点がいった。
彼の方がアンケートを伏せて置いたこと、そのアンケートを何の気なしに友人Aが表にしてから重ねたとき、彼のアンケートには「つかれた」と書いてあったこと、さらに遡ればなんとなく彼の「うわー…」という表情で下を向いた姿があったような気がしたことなどあれこれ出て来た。(記憶の捏造かも?)

ちなみに、最初私は彼がアンケートを伏せてたのは「つかれた」というネガティブにも取れる感想を書いていたためだ、と推測したのだが、もしかすると彼の方は誰と来たのかの欄で「恋人」に◯をしていたのかもしれない。

彼は面白くなかったかもしれない。
あまりに安直だけど、気になる可愛い女の子とたまたま(意図的に?)某マンガの話が合い、やっとデートに漕ぎ着けたとしたら、彼がマンガの知識と謎解き知識を駆使して彼女をリードし、すなわちゲームそのものをリードし、彼女から高評価を得るというシナリオだったとしたら、それの実現度は低かったかもしれない。
救いはゲームのイニシアチブを取っていたのがグループのもう一人の男ではなく、眼鏡の女だったところだろうか。

しかも彼にしてみれば、テーブルのもう一人の男 (奇しくも眼鏡)は背も高く細身。
一般的に容姿のいい人が兼ね備えている要素のうち2つを既に獲得しているし、長く実用眼鏡を使用している人が踏み出すのに勇気のいる丸眼鏡をかけている。

身長に関する男性のコンプレックスを勝手に想像してしまう。

今回はたまたま、私はこの件(男のコンプレックス)に関して幸いにも茅の外なのだけど、落としたい女の目の前に自分より容姿が優れていると感ぜられる男がいた場合どういう心情なのだろう。

同時に、私はこの背の高い男の方も他人の微妙な心情を察する能力に長けていると思っているので、こういった状況では背の高いことや細身であることへ"引け目"のようなものを感じたりするのだろうかと思ったりした。

いつだったか、イギリスのティーマナーの本を立ち読みしたとき、階級によって作法が違い、さらにそれに気づくのはたいてい階級の高い方なので、実は階級の高い人が階級の低い人に対して気を使う、と言うようなことが書いてあった。
しかし、この内容はこの本以外で見たことがないので、イギリスで一般的に流通している感覚かどうか信憑性は低い。

容姿のいい人は卑屈になる頻度が低い。または、既に私生活のどこかで、自分が高評価を得られる場を維持している人であれば、ホームを出てもそれに裏打ちされた自信が少なからずあるため卑屈になりにくいとも思う。
オタサーの姫はギャル男にウケなくてもあまり凹まないんじゃないか。わかんないけど。

フェミってるけどマンスプレイニングの話

最近になってマンスプレイニングという言葉を知った。それもスマホでヤフーを眺めていたときの「マンスプレイナーになっていませんか?」という啓発書的な文面のタイトルをタップして知ったのでなおさら癪である。

しかし"これ"に名前がつくのか!とびっくりした。
man と explainを掛け合わせた言葉で主に男性が女性に対して上から目線で解説することを指すらしい。
男性に限らず、なぜこの人に説明されなければならないのだ?という場面は多々あるけど、そういうの全般に使えると思った。

マンスプレイニング的な説明と単なるコミュニケーションの切り分けは難しいけど、なんとなく鼻につく言われ方に「あ、マンスプレイニングだ 笑」と言っていいなら気が楽である。
例えば私がジブリが大好きで、映画も何回も観てると言ったとき、別にジブリ好きではない上司に「え、じゃああそこ知ってる?○○温泉、なんだっけなー?あれ、なんか、あれの舞台になってるらしいけど…あれ?知らない?知らないんじゃーーーーん!笑」
という多分女同士であればマウンティングと言われるのかもしれないけど、なぜかジブリ好きでもないのに私の方が知っている感をアピールされ、嫌な気持ちになるこれ、これに名前がつくことで、明確なマナー違反として問題視してよいことになったという気がして胸のつかえが少し取れる。

今のはあまり王道な例ではないけれど、ネットではこれに関する"あるある"マンガなどが展開されていた。一番しっくりきた例がこちら。

エヴァが好きだという若い女2人に対して、隣にいた男性が、庵野秀明について語りだす。
「この人は特撮とか好きでシンゴジラもこの監督なんだよ~?」
女「あ、そうそう面白いですよね」と好きだからいろいろ掘り下げて調べていて知ってるということをやんわりと伝える。
何度かやりとりをして、女側のエヴァ好きという熱意だけやっとこさ把握した男性はこう断定する。
「あ~エヴァってキャラもイケメンだもんね~!カヲルくんとかシンジくんもさ~!」
とイケメンキャラにお熱だからエヴァに詳しいと決めつける。

このように、女性は無知だと決めつけて頼んでもいないのに解説する行為について、知的ハラスメントという言葉も使われていた。

確かに飲み会など複数の男女が一同に会す場面でよく男性は、「まあ、お洒落については俺はなにも言えないよ…笑」という他は俺の方が全て勝るけど、という前提がチラつく台詞を口にする。

そもそもそういう前提が違うよ、間違ってるよ、と声をあげてよくなってきたのだやっと。
今まで「男ってそういう生き物だよね~」としょうがないわねぇと言って我慢してきた、ないしは我慢できる女の方が我慢できない女より世渡り上手でお得に生きられらるし、何も知らない男はバカねという立場を取るのがいい女、という方程式だった。
言われる側が我慢することでうまく回る世の中だったのが、それは違うよ、間違った思い込みを振りかざして人を不快にさせてるんだから、やめた方がいいですよ、と正していいんだよ、に変わる可能性が出てきた。

これは画期的だと思ったし、この言葉が出て来たことで今まで「伝わらないのは仕方ない、我慢する」とやって来たこと自体おかしいのだと初めて気づいた。

そのヤフーの記事では他にも、主に会社において大声で話す、威嚇的な態度、非言語での嘲り(言葉以外でも鼻で笑うような侮辱)などもマナー違反としてマンスプレイニングにカウントされるとしていた。
男性に限らず、目上の人の中には言葉以外で圧力を加えて人を嫌な気持ちにさせる人は少なからずいるし、前から嫌だと思っていた。
これを聞くときっと「じゃあ何もいえないじゃん」「何でもハラスメントじゃん」と思う人もいるかもしれないけれど、言われる側は、今までずっと言われても我慢するという窮屈さを味わってきているんだし、今日からは言う側も、言われる側の"我慢と窮屈"を味わって、こういう窮屈さに押さえつけられていたんだと身をもって気づいてほしい。
そもそもその"そういう人だから仕方ないよね"が違うんだ、という始めての摘発だと思う。
その例の記事にあった言い方としては、
「社会のパワーバランスの適正化はまだ始まったばかり」
なのだそう。

ちなみに、この話をたまたまオフィスに女性だけになったとき、男性からの説明の押し売り、の部分だけを切り取って話題にした時、50代の女上司の反応はこうだった。

(一通りエヴァのようなやりとりを例にしたあと)
「いや、そこで、イケメンの名前だけ挙げるからダメなのよ!××みたいなブサメンも用意しといて、それも好きだと強調すればいいのよ!笑」

だそうだった。

私は思わず、それだとマンスプレイニングの本質から外れると言った。これは、見下したような解説をすること自体がマナー違反なんですよ、とそれを"やる側"に正してもらうための言葉のはずなのに、それでは言われる側が結局柔軟に対応してしまっている。それではセクハラされるのが嫌だから髭をはやして会社に行くようなもの。
と軽くフェミってしまった。

しかし、ここでいろいろと考えた。

やはり、会社で上にいく女性は男性的な価値観を持つ、あるいはよしとするタイプなのだろうか。

会社などに代表される組織的な社会そのものが男性的な価値観を"価値観"としているため、それがものさしと化してしまっているのだろうか。

マンスプレイニングという価値観は、今までその上司がやってきた、男性社会で生き抜くための知恵ややり方(言いがかりをうまくかわしたり、相手を持ち上げたり)を否定しているとも受け取れるものだから受け入れがたいのだろうか。

などなど。

前からその上司に対しては男好き(遊び人のヤリマンという意味じゃなく)の印象があり、男性をよく理解してますよ、という立場を取るし、男性ウケしそうな女性(かわいらしかったり、性的魅力を振り撒いていると受け取れるタイプ)に対しての敵対心が見える典型的なサバサバ姉御キャラと私のなかで位置付けているので、こういった男性のものさしを自分のものさしに適用している女性には受け入れがたい現象なのかもしれない。