日記

日記です

続 オフィスゴシップ

今日はランチの時にオフィスに全然人がいなくて私と同じ部の40歳男性、コンサバ女子、経理の女性のみだった。
ちょうどコンサバ女子が私の席に来たとき、40歳男性がトイレに行っていたのでコンサバ女子に元ラッパーのことを副社長らに話したのかと聞いた。

もちろん私はその後のことは知らないので、以前聞いたオフィスで押し倒されて逃げたという話と、その後もラインで「抱きてー!」というセクハラメッセージを送ってきたことを指して聞いたのだが、実は年末にコンサバ女子はついに未遂ではなく本当に暴行されたことを知った。

ちなみに、加害者である元ラッパーは1週間の自宅謹慎(表向きは家庭の事情ということになっていた)があけて昨日から戻ってきていたので、犯罪行為をしておいてたかだか1週間の謹慎で元気に出社しているのだと思うと納得がいかなくてコンサバ女子の話を聞きながら泣いてしまった。

弁護士も交えて話し合いが行われたものの、「嫌がっている」という決定的な証拠がないことから犯罪として立証できないと言われたそうなのだ。

そんなわけで今私はうっすらと転職を考えている。

1週間の自宅謹慎が妥当という判断。
大方ご老人の副社長らは「いきすぎた男女のお遊び」くらいにしか考えていないだろうと思っていた。コンサバ女子も社長に説明するときに副社長(女)が「お互い(ごたごたした問題を起こしてしまったのとを)謝って忘れましょう!」などとのたまっていたらしい。

ちなみに、元ラッパーが部長に話があると持ち出していたときも、保身の弁論大会でも披露するのだろうと思っていたが、コンサバ女子から聞くところによると部長に対して「ホントに嫌がってたんですか?」など後から言っていたらしい。

ニュース記事とかで見る泣き寝入りの典型パターンが繰り広げられていたようで悔しくて泣いた。

私が聞いた話はここまでだが、私の個人的な意見としては、元ラッパーは初犯じゃないと思うしまたやると思う。

そしてコンサバ女子がずっと体調も悪そうだったが、自律神経失調症になっているらしい。

絵にかいたような顛末で、生きていくのに絶望的な世の中だと思った。

コンサバ女子は私に説明するときにも「でも私も落ち度があったから…」とかいう言葉を使っていてそれを聞くたびに悔しい気持ちでいっぱいだった。
傷ついている人に自分も悪いところがあるなんて言わせる社会が絶対おかしい、そういう言葉を使わせる環境なのが間違ってる。

確か詩織さんの事件の時に耳にした言葉だが「ケガをして傷が見えていて血が出ていないと傷ついていると認めてもらえない」という内容のことを誰かが言っていた気がする。

そんなわけで、今日は午後、社内で事情を知っている人が元ラッパーと談笑している姿などを見ていると不信感でいっぱいになった。

オフィスゴシップ

今日は変な日であった。
思い返せば隣のデスクの元ラッパーが出社したときから、違和感を感じていた。

朝のうちに副社長と会長、営業部の部長、元ラッパーと私らの部の部長、そして元ラッパーが会議をしていた。いつもは閉めない会議室の中ドアもぴっちり閉めて。
そして一度営業部の部長に呼ばれて数分のみコンサバ女子が会議に顔を出した。

もう私は察知していた。

会議の後、元ラッパーがなにやら部長に話す時間が欲しいと持ちかけ、部長はじゃあランチでもいく?と言い出ていき、ランチが終了すると元ラッパーは午後半休ということで帰った。
営業さんの一人が、あれ?◯◯くんは?(元ラッパー)と訪ねてきて、部長は半休、知らなかった?と付け加えた。
半休?知らなかった?知らなかったよ私も。


そして夕方、コンサバ女子と営業部の部長とうちの部の部長が会議をしていた。

その数日前、コンサバ女子がなにやら副社長と面談していた。

そして年明けは、なぜかコンサバ女子がうちの部の部長になにやら泣きながら相談していた。

その後、なぜか部長と副社長の面談が増えた。



去年の夏、コンサバ女子と外出の帰り道、コンサバ女子から元ラッパーに押し倒されて泣いたという話を聞いた。
コンサバ女子は「バカにしやがって」といい、冗談っぽく◯◯さん(うちの部の部長)に言ってやろうかなどと盛り上がっていた。


私は全てがこれに繋がると思っている。

というか、年明け早々コンサバ女子が部長に泣きついていた時からちらついていた。
しかし、その数週間後、営業さんが辞めることを知り、コンサバ女子と仲のよい営業さんだったのでそれが理由で泣いていた?とも考えたりしていた。

しかし、今日の不可解な面子の会議で確信したし、なぜコンサバ女子が昨年暮れにあんなにも食事に誘ってきたのかもわかる。
結局、その食事では他のニュースにもっていかれて核心に触れるような話題はなかったのだけど。


そんなわけで、正攻法でジャッジを下すとすれば、支店のない弊社では退職になるような気もする。

ちょうど営業部の募集をかけている今なら、それに紛れて元ラッパーの後任を見つけるにもタイミングはいい。
社内のお祭り騒ぎはちょっと面白いけど、しわ寄せがくるのは勘弁なんだな。
コンサバ女子を責める気持ちはもちろんなく、全ては元ラッパーが自分でまいた種。

ちなみに、なぜこのタイミング?と思った時に浮かんだのが、もしかして実はコンサバ女子は妊娠した?とかも考えたりした。最近半休多かったし。

しかし未遂であっても、人間の尊厳を傷つける行為なので、コンサバ女子はやっぱり顔を合わせるたび不愉快だったのだろう。
なんでアイツはのうのうと暮らしてるんだ、と嫌な気持ちだったのかも。
それにもしかしたらPTSDとかなってるのかも知れないし、何かしら目に見える形で落とし前をつけてもらわないと尊厳の半分も戻らないよね。



追記2/9
にしてもうちの部の部長はショックだったろうな。
やんちゃ系でギラギラしつつも子煩悩っぽいパパって感じで、(たまにほんとか?と思うけど)子供や奥さんが風邪でダウンすると自宅勤務にしたりと、よき夫よき父親みたいなイメージだっだろう。
それになにより、部長としてはこういうやんちゃな男子は好みだったはず。
なにかと部の飲み会といえば、この元ラッパーの好きな焼き肉と決まっていたし、前なんてある先輩のためと称して開いた飲み会で、仕事で遅れる元ラッパーのことをずっっっっと気にしてしきりに男性部下にラインしろとうるさかった。あれはもうほんとすごくて「ねえ◯◯くんは?まだ終わんないって?」「◯◯くんこれそう?」「◯◯くんにラインしたの?」「◯◯から連絡来た?」と元ラッパーにご執心なことを少しも隠さない、本能のままに元ラッパーの名前を呼び続けていた。

下衆な邪推だけど、お互い既婚者とはいえ部長は自分が男性的にもお気に入りだった元ラッパーが強姦未遂をするなんて、それもよりによって、自分の嫌いなタイプのコンサバ女子に女として性的魅力を感じていたなんて、二重にショックだっただろう。

ともかく今週の社内は妙な空気だった。

しかしやっと東京の、こんな身近なところにもMeTooの風が吹いたのだ。

キングスマン ゴールデンサークル観てきた

キングスマンゴールデンサークルを観てきた。

発端は昨年10月、メガネのコリン・ファースが見たかったので、なんとなく気になっていた「キングスマン」を借りた。面白かったので続編が無いのか調べたところ、ちょうど2の公開が決まっているのを知ったのだった。監督は「キックアス」のマシュー・ヴォーンだったのでコミカルさも納得だったしさらに続編も期待できた。

 

映画は面白かった。もちろん2より1の方が完成度が高いんだけど、2はファンサービス的なものやネタ要素が多くより豪華になっていて2らしかった。

以下、多分ネタバレで書きます。

 

個人的に1番の感想は「時代は変わった」である。

そういう意味でたくさんの人に観てもらいたいかもしれない。

 

まずは、拠点のテーラー(自宅)が爆破され姉妹民間スパイ組織(提携組織?)であるアメリカのスパイ、ステイツマン(ケンタッキー州にある蒸留酒造?が表向きの仕事。ウイスキーのビンの形をしたオフィス)の所に行き、ステイツマンのベテランスパイ ウイスキーと共に、主人公エグジーが野外フェスで今回の犯人の彼女に近づきナンパするシーン。

ここでは、まず40歳くらいのベテランスパイがナンパし、「君のライブは何時から?」と彼女を褒めてとりあえず一杯奢ろうとするのだけど、「左にスワイプ」されてしまう。(ティンダーから来ている‘興味なし’のスラング、映画の台詞では左だったか右だったか上だったか忘れた)

そこへタイミングよく現れたエグジーが、どうやらSNSで彼女の情報を入手していたようで彼女が好きらしいスピリチュアルアニマル(?)の話をして心をつかむ。と、彼女から「一杯奢るわ」とナンパ成功。

まずここです。今の時代は女性が気に入った男性に一杯奢るのがどうやら特別なことではないらしい。

そしてターゲットに近づくことに成功したエグジーは、発信器(音声キャッチとGPS機能かな?)を彼女に付けなければならないのだけど、発信器はよくルパンとかが使う服に付けるタイプじゃなくて、体内に入れるタイプなのでセックスあるいはセックスに付随する行為が必須となる。

意外とトントン拍子に彼女の方からテント(それも豪華なグランピングのテント、最近映画に出てくる“フェス”で見るのは2回目)に誘われ、あっさりセックスできそうになる。私はてっきりここで仕事だから形だけの罪悪感を感じて「ま、おいしい思いもできてラッキーか」っていう具合にセックスすると思ったんだけど、ここでエグジーはちょっと席を外して彼女に電話する。そして、これから仕事でターゲットと寝るんだけどいい?と彼女にお伺いを立てる。

(もちろん彼女は怒り、それがきっかけで麻薬に手を出して今回の黒幕の被害者になると共に、その責任が自分にあると感じ彼女を助けるべく主人公エグジーが奮闘するというストーリー)

結局エグジーはセックスに付随する行為までで止め、発信器を体内に仕掛けることに成功するのだけど、このシーンも意外でびっくりした。

 

熱心に観てきたわけではないけれど、今までのスパイ映画、といえばもちろん同じくイギリスの007なわけだけど、毎回“今回のヒロイン”みたいな美女が出てきていかしたビッチととりあえず寝る、というのがお決まりのはずだし、そういうプレイボーイこそが「かっこいい男」像だったのではないか。

それに彼女がいたとしても「まあいいか、据え膳くわぬは男の恥」という思考回路でニヤリとしながら楽しむ→彼女怒る「もう!」くらいの不二子ちゃんがぷんぷんするレベル→でも(なによりコミカルなスパイ映画だし)お笑要素としてライトに片づけられる。という流れが定番だと思ってた。

ところがエグジーは彼女に電話(スカイプかも)をするしかなり悩む上にセックスしない。

ちなみに彼女は1で助けたスウェーデン王女でおそらくエグジーより年上(30くらい?)。そして1ではたまたまラストで敵を倒しに乗り込むとき、エグジーは一度王女様とキスをしてみたかったという理由で助けるし、王女様は「私を助けてくれたらキスだけじゃなく後ろの穴をつかってもいい」とお礼にサービスを約束し、みごとエグジーは世界を救い王女様とアナルセックスする。それだけの存在だったので、まずは2でも彼女として出てきたことにびっくり。そして1でも特別エグジーが彼女思いとか、こうみえて一途な男、みたいな演出はなかったはず。

それだけにこの展開には「時代は変わった」と思わざるを得なかった。

確かに映画の進行上必要ともいえるけど、それならむしろターゲットと寝てしまった方がエグジーの罪悪感は増すはず。

それと、エグジーは一流スパイになりながらも、仕事以外はかつてのワーキングクラス的なアディダスファッションを愛用し、友人付き合いもこれまで通り、加えて王女様もパーカーを着て彼のお家に遊びに行って、彼の友人たちと仲がいい。

そういう所を見ていると、最近の若者の価値観が合い、お互いを尊重できる相手と付き合いたい、という志向に沿ったヒーロー像だ、と時代の変化を感じだのだけど、だけどもしかして、1で犬を殺せなかったエグジーはきっと彼女も裏切らないだろうという整合性のために必要な演出だったのかも。

あとは、外国の映画だからかもしれないけど、彼女の方が年上だけど、彼女の年齢が問題、話題に上るシーンは一切ない。

以上が私の印象に残ったシーンです。

単にストーリーの演出として必要だっただけかもしれないけれど、これを見せつけられた時、私は古い人間なのかもしれない、現代の20代が思う“かっこいい”は次のステージに移行しているのだ。と面喰いました。

もちろん浮気を容認するのが“いいオンナ”という思考の持ち主でもないけれど、映画ってそういうもんでしょ、憧れる男ってそういうもんなんでしょと思っていた。

ちなみに2015年の映画007スペクターを借りてみたところ、主人公は旅先の美女ととりあえず寝る。そしてキーパーソンの美女とも寝てこっちは恋仲になり終盤(40分後くらい)にはもう深い愛が生まれていた。

 

ちょうど最近、「いい女と付き合いたいとお思っているのは40代、50代、60代の男性で、20代30代の男性は同じ目線で話せる相手を求めている」というネット記事を読んだばかり。ネット記事なので信憑性は定かではないが、最近は世界的に草食系男子化しているという裏付けデータをネットで探す日々です。

最近のヒーロー像の変化を調べたくなりました。

ただ、マシュー・ヴォーンはキックアスのように強い女の子が主人公で、弱い男子を助けるような話の映画を撮っているので、監督自身が従来のマッチョ思考には興味がないタイプなのかもしれない。

ちなみに、エルトン・ジョンが出ると話題でしたが、フザけてておもしろかったです。要所要所アメリカを強調してくるのも笑えた。

スパイガジェットがイギリス紳士を前面に押し出した1で出てくるものがスタンダードなスーツ、指輪、傘、だったのに対し、アメリカのガジェットにはベースボール(バッドでボール(爆弾)を撃って使う)が出てきて、パラシュートはアメリカの国旗で、麻薬王ポピーのオフィスはアメリカンダイナー。大統領は麻薬王よりもっと悪いやつだったし面白かった。(赤いネクタイでよく腰に手を当てていたな。金髪ではなかったけど)

勝手にふるえてろ 観てきた つづき

友人より「私たちはどうやったら各々の現実の世界で二のことを好きになれるのか」という問題提起がなされた。

それを別の友人たちに問題提起してみたところ、我々の選択肢は二しかないのか。と返答があった。

私も同意見で、イチでも二でもない、ゼロとかサンという選択肢はないのかと、猛抗議したい気持ち。

なぜなら、世の中のカップルはお似合いの人とくっついているように見えるからである。
基本的には目に留まるカップルなので、そりゃお洒落な彼氏とお洒落な彼女など、いい組み合わせの例になるが、フェスなどて見かけるような、見た目もどことなく雰囲気が似ていて、よって想像するに趣味なんや好きなものや考え方なども似ているのではないかと思われるような、そんなお似合いのカップルである。
理想とするならそうしたいい組み合わせになるのは当然で、私たちはそれを望めないのか?という不公平さにこれまで何度も味わってきた人生の挫折を覚える。

ヨシカは「私ごときが望んじゃいけない」と時折自己肯定感が大きく揺らぐ。
その気持ちはすごくわかるし、ずっと彼氏なし処女という条件が揃うと自分にはなにか欠落している、他人より劣っている、だから誰からも愛されないのだと思ってしまう気持ちはわかる。
自分は足りない何か人より劣っている、だから普通のみんなみたいにみんなが手にしているものを同等に得られるなんて望んじゃいけない、そういう考え方なのだと思う。
そしてできれば、同じようにどこか自分の存在に不安を感じている人と巡り会って信頼関係を築きたいのではないだろうか。
対して二の方は、人には誰でも欠点はある、でもお互いに欠点があるのだから許し合うべき、みたいな(忘れた)内容のことわ言っており、欠点があるから自分はダメ人間、ではなく、自分も欠点があるし他人にもある、それが当たり前という考え方。
ヨシカに対しては、わからないから好きであり、そして「ちゃんと好き」とのこと。

私もヨシカのように「欠点があるからダメだ」派なので、この二の台詞を前に、いつだって二みたいな人の方が大人で嫌になる、と思いました。
そう、それでも二を好きにはなれなかったし、なんでヨシカ、二なんだよ!となってしまった。

やはり二のことを好きになれないのは、自分の鏡映しじゃないからだろう。
だけど二を好きにならなければならない、という気持ちがするのは二が正しいように感じるからである。それがこの映画の後味の悪さである。(映画自体面白いのだけど見終わってヒリヒリするという意味で)
ちなみに個人的には、勝手にふるえてろは逆アメリで大人版ゴーストワールドという感じ。
アメリみたいな理想的な終わりかたをするファンタジーハッピーエンドではないし、勢いで会社を辞め周囲の"大人"感を痛感するヨシカにゴーストワールドのイーニドの姿が重なる。

ゴーストワールドで思わず泣きそうになるシーンがある。レコードをかけるシーンで、子供向けっぽい歌をイーニドがちょっとセンチメンタルに聴く場面は、その歌詞に胸をしめつけられる。
「リボンを結べば特別になれる」
https://youtu.be/_ZGfdFL0aiE

勝手にふるえてろ 観てきた

勝手にふるえてろを観てきました。
あれこれ言わないと気持ちが落ち着かない映画です。ネタバレで書きます。

ヨシカがもうある種の女子のテンプレだった。

普通、女子のテンプレというとパンケーキとコールドプレスジュース、ホットヨガと女子力、インスタ映えとパフスリーブで形成されている(とみんなが思っている)とすれば、ヨシカは裏テンプレである。

タモリ倶楽部が好きで上司のあだ名にフレディ(マーキュリー)を用いるというユーモアセンス、ビュルデサボンやらウーマンチャイルド系の服、絶滅動物というニッチでディープな趣味にお金を費やし、SNSはやっていない(後に手段としてやるけど)。

完全に、話しやすい仲良くなりたい女の子の要素を兼ね備えている。あと個人的にはSNSをやってないとかかっこいい。

しかし、ストーリーはこじらせ女子の痛い現実!をコミカルに描くという感じ。しかし実は視点をかえればアメリとか「セリーヌとジュリーは船で行く」とかにもならなくはない。

だってヨシカは絶滅動物という"自分の世界を持っているちょっと変わった女の子"と言えなくもないし、そうした映画のセオリー通り、"そんな女の子が勇気を出して一歩踏み出す"こともしている。

しかしそうしたアメリ的な映画を観たとき「でも現実はこうじゃねーーーよ!」と、キラキラした不思議ちゃんと目の前の現実を対比して落ち込んできたわけだけど、この勝手にふるえてろはそうならない。
なぜなら現実の世界でコミュニケーションの実戦をしていない、場数を踏んでいない、普通の恋愛下手な人が奮闘した結果ひどい転びかたをする、というようなことがちゃんと起こるので、「そりゃそーだわ…」と膝を打つ場面が多い。
アメリと違い羨ましい!可愛い!変わった女の子万歳!とはならない。ヨシカは絶妙に憧れない。

しかしながら、ヨシカを見ているとかなり自分の要素が濃い。
冒頭でも「会社で感情が動くとかありえない」というようなことを言っており、金曜日の飲み会はタモリ倶楽部があるから参加しない。
会社では自分の趣味(絶滅動物)の話はしないので、同僚から「私生活が謎」と言われる。

私って裏テンプレだった、と思ってしまい自分を重ねるのでヨシカが「二」という、こっちはまた表テンプレみたいな超普通、超大衆向けの営業マンとくっつくこと、普通に楽に恋愛できるタイプの人間と"正面からぶつかり""気づかされ"たりするのが嫌だ!

二を選べ!二に感謝しろ!と言われているようで嫌だ。

という気持ち。
つづく

T2を観た

映画評論家の町山さんが確かT2を観た感想を「人は変わらない」と言っていた気がするけどまさにそう思う映画だった。

トレインスポッティングは高校時代、美術の授業をきっかけに仲良くなった映画好きの子たちに勧められて観た。
映画を観る前からレンタル店でもジャケはいつも表にしておいてある映画だったし、ヴィレヴァンなんかでもポスターやポストカードでよくみかける、映画よりも先にヴィジュアルでは知っていた。
もちろん観てみたらスタイリッシュでかっこいいので好きになった。

この映画が公開される1996年(たしか)までは、スコットランドが舞台の映画というものは世に出回っていなかったらしい。
そういえばイギリス映画となっているが、舞台はスコットランドなのか、というのは最近調べてから改めて認識した。

トレインスポッティングでは、田舎町のグズグズな若者がまだまだ未来が長すぎる故に行き詰まりドラッグ漬けになっていた。映画はドラッグを絶とうとしてまたしても数時間で挫折するところから始まった。何度も仕事をはじめて真っ当になろうとしては失敗してドラッグに逆戻りする。
ラストは大量のヤク密売で得た金を主人公が持ち逃げして終わる。
T2はそれから20年ほどたった設定である。
主人公レントンはイギリスでサラリーマンをして結婚もしていて、仲のよかった友達の一人サイモン(元シック・ボーイ)は地元で売春の斡旋を生業として、もう一人スパッドは薬物依存の更生セミナーに通い、つるんでた中にいた切れやすい問題野郎ベグビーは刑務所から脱走したところ。
みんなまだ地元のスコットランドにいるところへレントンが母親の死をきっかけに帰省する。
ところがそこでまたドラッグも再開してまともな仕事もドロップアウトしてしまう。

人は変わらない。と早くも思った。
レントンは実は夫婦円満ではなく、最初子供がいると言ったがそれは嘘で離婚が決まり家を追い出された。
そして最近突然の入院と手術で年齢的な体のガタがきていることを実感し、学歴のないサラリーマンなので最近合併した会社において自分がこの先居場所がなくなることも予感していた。
中年になり自分の老い先が見えた頃、この先にこれから始まる"何か"は無いのだと透けて見えた時、
再び人生がどん詰まりになる。すると結局かつての仲間とつるんでドラッグを楽しむ生活に戻る。

状況がまた悪くなれば人はまたダメだった時の自分に戻る。
刑務所に入っていたベグビーも更生の気配はなく、脱獄して盗みをして、最悪なことに大学に通っているまともな息子に加担させる。

いつでもみんな簡単にダメになれる。

人は変わらない。

しかし、人は変わらないにも唯一の救い(あるいは学習能力がない)があった。人がいいスパッドは最後まで友達思いのいいやつで、その姿を見ると、そうだった、そういえばこいつだけは誰のことも傷つけたり裏切ったりしたことなかった!と、中年になってグズグズ感が痛々しさへかわりつつある中だったので少しホッとした。

たいてい2というものは期待できないので、一応借りとくか、という気持ちで観ていたが感動したしよかった。
それに前作で出てきた懐かしい顔にも再会できるので、おお!あいつがこうなったか!という親戚のおっさんの気分になった。
なぜか親戚のおばさんではなくおっさんの気分。

それにしても、高校以来もう地元に帰るつもりのない私としては、こうして地元に若い頃の元カノとか、幼馴染のアイツとかに、犬も歩けばぶち当たるというのがどういう感覚かわからない。

帰省したときなど、時々母が「○○ちゃん二人目生まれたって」と情報提供をすることがあるが(あるいはプレッシャー)私はいつも「へぇ」以外の感想がなかった。
だって私の向いている方向、興味の先、と、○○ちゃんのいる場所はまるで明後日の方向、または別次元であり、かつ私たちは私たちの親ほど仲良くないのだ。
例えば私が道を歩いていて、まったくの同タイミングで目が合えば挨拶くらいはするだろうが、すれ違い終わった後にお互い気づいても、わざわざ振り返って呼び止めたりはしないだろう。

地元の友達とはほとんど縁が切れている私には、"あの頃…"と子供時代のノスタルジーを共有する場面には感動したものの共感はなかった。

このトレインスポッティングというタイトルの由来は諸説あるらしい。2の中でもトレインスポッティングという言葉に「鉄道ファンか?」という訳がつけられていた。
しかしネットで色々調べていたところ、一番しっくり来たのが以下の説。
廃線になった操車場にはならず者みたいなのが集まってヤクをやっていたため、ヤク中のたまり場となっていた。そこからヤクをやることを、トレインスポッティングする、ヤク中をトレインスポッターという呼び方になった(たしか) 。つまり、トレインスポッティングとはドラッグ中毒の隠語である。

という内容の誰かのブログを見つけたことがある。
さらにそれを、記憶だけを頼りに書き起こしたので信憑性は100%とはいえない。

コンサバ女子と食事が終了

コンサバ女子との食事が終了した。
終始和やかでマウンティングをされることもなく、オフィスの悪口で終了した。
生産性のない時間ではあったが無害な時間となりよかった。
というのもある出来事が一役買っている。というか、癪な話であるがその出来事のせいで女子会が霞んだといっていい。

同じ部署の40歳男性が結婚するのだ。

少し食事に遅れぎみになっていた帰り際、パソコンを閉じようとしていたその時、営業部の部長と、私ら同じ部署(部長以外)のメンバーだけになったとき、軽く周囲を一瞥し、改めて今ここに残っているメンバーを確認してから
「ちょっとご報告がありまして」
と切り出した。
40歳の隣のデスクの女性の先輩が無邪気に「なになに結婚?」と聞くと「あっ……っそう…なんです」

と落ち着き払って答えた。
すべての人に一瞬緊張が走ったと思う。なぜだか緊張が走ったきがするけど、一応30代後半の先輩が努めていつも通り「相手は~?」と聞く。
私はなにも言わず話を聞いていたが、どうやら最近別荘を建設していた過程で、その建設会社の娘と知り合い一ヶ月ほど前からお付き合いをしていたらしい。
一ヶ月…?
誰もがここで詰まってしまうが話をすすめると、まずは何らかの集まりでその彼女をみたそとがあり、割りと気に入ったらしく、彼女の父親、つまり建設会社の人に軽く話してみたところ、父親の方が仲をとりもって紹介してくれたらしい。

そして一ヶ月で結婚を決め、来年入籍予定なのだそうだ。

先ほど女性の先輩、それもべつにデリカシーのないおばちゃんタイプではない先輩が、真っ先に結婚?と聞くくらいそれは誰もが予想しなかったことだった。
ちなみに部長は知っているらしく先に報告していたとか。
なぜ今切り出すのかというと、おそらく来週に控えた忘年会で公式に発表するためだろうか。
あるいは、どうもその日はたまたま縁故のある会社の関係者が来社していたため、その流れで副社長らに結婚の報告を済ませていたらしい。(そういえば、ひそひそとなにか話していた)

と、言うわけで、私はコンサバ女子にこのことを真っ先に話したため、食事は終始、この40歳と結婚する女性がいるなんてありえない!という話題となった。
なんでも相手は32歳だそうで、私としても40歳男性が、「自分より8歳も年下の嫁をもらった」と日々誇らしげにほくそえんでいるのかと思うと癪である。喜んでいるだろうな、これでもう部長からの「だからモテないんだよ!笑」とか、その他お決まりの独身バッシングとはおさらばである。

そんなわけで、女子会は平和に終了した。