日記

日記です

頭で思ったことがそのまま口に

「告白」にはよく"思弁的"という言葉が出てくる。分厚い本でやっと300ページほど読んだがやっと1/3というところ。

その"思弁的"のせいで主人公は苦悩することが多く、主人公自身も、村の人々は思弁的とは真逆であって、頭で思ったことをそのまま口にできている、自分にはできないし、自分が思弁的なせいで言っていることが伝わらない、と度々コミュニケーションの壁にぶち当たっている。

思弁的でない、とはこういう感じ。

ちょー、お前じゃまだからそこどいて!
そんなとこ立ってたら通れない!

ここに悪意や含みもなく、頭でそう思ったから次の瞬間にはそう口に出すという感じ。

こういう人は多い気がするし、わかりやすいため"指示が上手"と受け取られることもあるし、わかりやすいため、"やる気がある"とか思われやすく、セルフイメージと世間のイメージのギャップも小さい気がする。

ラーメン屋のおやじとかのイメージ。この間いったカレーうどんの店の店主はまさにこれかと思われ、注文してすぐにお代を払う店の雰囲気だったため、カウンターに鞄をおいてお金を払うのを待っていたが、店主は作り始め、「そうか、出来上がってから品物と引き換えに払うのか」と思い立ったまま待っていたところ「立ったまま食べるんですか?!!」とピシャリといい放たれてしまった。
個人的には、こういう人には「うわっ、怒られた」と感じるので傷つけられる(勝手に傷ついた)ことが多い。当然今回も「怒られた」と感じた。

それでも、思ったことをそのまま口に出す人は、活発な性格からか人から好かれている気がするし、TVなんかでも思ったことを気軽に口に出す芸能人、さんまさんなど、ノリがよく言葉に裏がなく感じられ笑わせてくれる。

しかし、私はそのタイプではない気がする。
それでも、そうあろうと振る舞ったことが多々ある。思弁的とはおそらく内向的ぎみであり、内向的は暗く地味なのでコミュニティの中でイニシアティブを取れない。

しかし、頭で思ったことをそのまま口に出すこと、裏がないからといって"良いこと"みたいに言うのは単に同じような人たちによって暗黙の多数決が取られた結果に思う。

以前はやっていたが、もうやらない、と誓ったことがある。
「老けたな~~!笑」「太った?笑」「プッ、なんか、小学生みたいな格好」などである。
「やだー!そんなことなーいー!笑」
と、会話が盛り上がるが、やはり相手に通告してもなんの意味もないので、やはり潤滑油として「あっけらかんとした指摘(図星っwwwww)」みたいなことは辞めようと思った。

本気で心のそこから体調を心配して「太った?」と言っている訳ではないし、不毛な指摘であると判断した。
それでも、堅苦しくない、気さくでノリのいい人はデリカシーに抵触する発言を気軽に行うし、それはかなり日常のスタンダードな行いである。

それと、思弁的の話とは違うかもしれないが、以前、野宮真貴ちゃんの本が出たときのインタビューで、野宮さんは大人こそ赤い口紅をつけるべきだとオススメしていて「でも、勇気いりませんか?」と問われ、続けて勇気がいる理由として「「あれっ?今日どうしたの?!」とか言われそうで」と例を挙げると、
「あ~、私そういうのよくないと思う」
と、赤い口紅をつけてきたイメチェンに対して、それをしたことに対する過剰反応をするのは賛成できないということを言っていた。
そうだよな。と思った。それ、よくない、が普通でいいんだよね?と思った。

私はそんなこと言わないのに…と損した気持ちになることもあるし、言い負かしたくて応戦することもある。しかし"あっけらかんとした"人ではない私が言うと普通に失礼なマジな悪口となる。(気がする)

なぜ頭で思ったことが口に直結している人は、悪口や酷いdisと判断されないのだろうか。
その問題はいいとして、「なんか…太った?笑」という"みんなが思っててもなかなか言い出しにくいことを、脳で咀嚼するより先に口から出ちゃいました。だって本当のことだから"というアレ、二度とやらない面白いと思うこともやめようと思っている。

ミスズベーカリー閉店

ミスズベーカリーが今月で閉店するらしい。
さっきパンを買いに行ったときに店主から聞いた。

あえていつ閉店という看板は出さないそう。

悲しい。

55年やってたのよ~昭和38年、25ときに結婚して、まだ下水道のない頃からやってたのよ。

と言っていた。80歳だそうだ。年齢的な衰えを感じて辞めることにしたそうだ。
経営難とかじゃなくてよかった。

あんこたっぷりのあんパンがおいしいので機会があれば今月中に行ってほしい。
ジャムパンとか魚肉ソーセージパンとか最近はたまにデニッシュもあったな、クイニーアマンもあった。続けてくれよ息子。(息子がいる)


話は変わるが、何年か前、となり町の商店街で豆腐屋の奥さん70代くらいの方と談笑してる若い男性をみかけた。私より少し年下ではないだろうか。
この商店街でよく見かけるジャンルの服装をした、アースカラーと黄色やキナリ色の組み合わせをする感じの男性。イケイケストリート系ではなく、ほっこり系。カメラとかもってそう。

そんなゆるふわ男子が豆腐屋の奥さん、おばあちゃんとも呼べる、にタメ語で話していた。

好きじゃない。

瞬時にそう思った。

タメ語がだめなのかというと一概にそうでもない。屋台のおっちゃんみたいないきなり誰にでもタメ語で来る人は昔から苦手だけど、そういう人はまあ、誰にでもそうなんだろう。そういう性分なんだろうと思って、祭りの雰囲気にもあってるしいいか、という感じ。

なんというか、タメ語で話して"あげる"とおばあちゃんは喜ぶだろう、という雰囲気と、ちいさな商店街で地域の人と交流する姿をパフォームしているように見えたからだ。

自分の行動にあるていど他者の視線が絡んではじめて成立するパフォーマンス、ポーズ。

しかし彼がパフォーマンスしてるか否かは私が決められることではないので悔しい。

ちなみに私は敬語で話す。知らない人にはとりあえず敬語という反射的なものと、当然目上の人に対する敬いからだ。
そりゃ人によっては孫くらいの歳の子がタメ語で話してくれると嬉しい、という意見もあるのは知っているが。

あの時みかけた小さな商店街で一日一膳(タメ語で話すこと)兄ちゃん、今どうしてるのかな。

単純に

自分の好きな環境に属してる人って単純に羨ましくないですか?

真夏のセーター

長い時間かけてひたすら編んだセーターは完成していないが既に私でさえ着たいと思わないのだから誰も着たくないだろう。サイズも違う。

それに季節は夏になっているので、益々セーターなんていらない。

epit○ph

ト〇プルファイヤーのアルバムタイトルが〇ピタフ。
エピ〇フって?と思い調べると墓碑銘だそうで、墓碑銘ってなに?と調べるとお墓に書かれた故人を悼む言葉らしい。
そこでなるほどと納得したつもりが、じゃあなんで墓碑銘なの?と思い検索すると、墓碑銘は簡潔で奇警な言葉が多いという一文にぶつかり腑に落ちた。
1 SEXはダサい
「その時はそう思った~」のサビ。
これを聴いたとき、よく雑誌などのインタビューで、けっこうな偉い人らしい、その道の有名人らしい人が、記者に「以前は○○が重要とおっしゃっていましたね」と問われた時に「ああ、その時はそう思っていたんですけど、今はだいぶ考えも変わって…」とあっさり覆すやりとりを思い出した。
えっ?いいの?何かすごく信念とか裏付けがあっての発言じゃなかったの?えっ?というあの置いていかれた感じを思い出しました。
のっけから、ロックはもう終わってる、セックスはダサい、Vネック着てるやつ性格悪い、スノボ行くやつバカ、など(おそらく)したり顔で喋ってるこの人(歌詞を書いてる本人というよりはこの歌の中の人)の「本当の実力でいうと関根勤が一番面白い」という部分、本当の実力って意味がダブってしまっている言い方で、普段からあまり深く考えずに、まさにその時思ったことを口にしてる人なんだとわかる。人物像に一貫性がある。
2 トラックに轢かれた
「あの人のアイデアは トラックに影響なかった」って痛快。
初めて聴いた時から歌詞も曲も大好きである。
これはきっと哲学書に、この状況を表した場面が小難しい名前つきで載っているんじゃないかと推測している。
これもまたトラックに轢かれた人の発言が、ああ、この人言いそうと思わせる。これも人物に一貫性がある。この、「40代なのに20代に見えた」人は後半出てくる“こだわる男”と親和性を感じる。何が言いたいのかを明確にひも解きたいんだけど私の力不足によりできないのが悔しい。
3 変なおっさん
この歌詞は頭のなかで映像化するのが楽しい。
季節が当然のように秋から冬へ移行するのと同じく、この人(この場合は作詞:Voの吉田氏本人)は自然な流れでごく当たり前に変なおっさんになるし、反面、日本経済の変動が、時代がどう変わろうとも関係なく、大人しいおっさんになる。
「季節はめぐり続ける 町は少しずつ表情を変えていく 俺は変なおっさんになる」
この突然の関係なさがたまらなくいい。
個人的にはこの次の“Bの芝生”にも繋がると思っている。音楽をやり、コラム書いて完全にそっちが好きならそのままその道を歩むだろうし、一般的なおっさんにはならず変なおっさんになるのでしょう。
大人しいおっさんの場合は、普通に就職した場合、つまりA面の選択、あまりアクティブで弾けたタイプではない人(のように見える歌い手)の行く末か。あるいは働きながら音楽をやり続けた場合の、昼間の大人しいおっさんと、ライブなどがある夜や休日の、会社の人が知らない変なおっさんの二面性といったところでしょうか。

4 Bの芝生
最後の一言が「一回決まったんで絶対変えられなくなった」ということで本当に良かった。
Bに決まって本当に良かった。Aになんて行ってほしくない。
普通私たちはAの芝生に行く。Bもいいなって思うけど、憧れ程度だったり自分でも現実味がなくてBを選ばない(選べない)ことが多い。
Bという選択肢がはなからない人もいるし、Bという存在自体認識してない人もいるのかもしれない。
Bにいても、Aに行くべき、いや“戻るべき”かもしれないと迷うことも多いんじゃないか。
「Bの先生や家族に心から感謝してる」は思わず感動する。
そしてこの“Bの芝生”は“ゲームしかやってないから”につながると思っている。
5 戦争の話
「もうやめようよ 戦争の話」
とひたすら繰り返す、合間の小ネタが生きる一曲。
これは初めて聴いたとき、戦争の話、平和に関する活動をシェアするFaceBookがまっさきに浮かんだ。
6 面白いこと言わない人
ビートたけしのまね二度とやりたくない」という歌詞があるけど、そんなことさせられるんですね。
7 今日は寝るのが一番よかった
どうやら1日寝てしまったらしいこの人、「納得してる」と言えば言うほど後悔が伝わってくる仕組みになった一曲。
ライブの感じではあまりそう見えないけど、寝て終わった1日を後悔することあるんだ。
8 ゲームしかやってないから
これは、歌詞を書いてる吉田さん、何か街コンでも行ったのでしょうか。
「俺 ゲームしかやってないから」と繰り返す。「やって ないからぁっ!」の言い方が素晴らしい。
とにかくゲームしかやってないから勝てるわけないんだと強調する。
つまり、何か勝負しなければならない上に、相手に勝てるわけがないらしい。
理由は「お前がなんかしてた間 携帯のゲームしかやってないからそこんとこ考慮してくんないと勝てるわけない」とのこと。
これ、ゲームしかしてないこの人と、“おまえ”の2人しか出てこないと思って聴いていたんですが、これもしかして他に“考慮する”誰か、勝ち負けを判定するもう一人がいるのか?とも思ったりして聴いています。
で、街コンに行ったと仮定するとすごくしっくりくる。
合コンじゃない。
合コンだと、友達を集めて参加となるだろうし、そうなれば多分みんな似たような境遇の人だろうから“携帯のゲームしかやってない”としてもきっと目立たない。
だけど、街コンみたいに不特定多数の年の近い他人に囲まれた場合・・・
20代30代の社会人、“なんか”やってる。
大きなプロジェクトを任されたり、資格取得が功を奏して昇給したり、名刺の肩書がエグゼクティブプロデューサーとかになったり、独立した人もいるでしょう。そんな縦軸の時間を生きるAの芝生を拠点とした人たち。
対して、Bの芝生で頭角を現しライブの客数も着々と増え、インディーズバンドのフェスなんかじゃトリを務めたりと、名刺こそないものの自分の名前でエゴサーチができる!どうだ、さあ勝負!
でも勝てるわけない・・・!
と言う流れがしっくりきます。
ゲームじゃない。携帯のゲーム。ここに限定されているところがいい。
9 質問チャンス
私はこれ、質問される人の気持ちというより、大学とかで講師の方(どこかの社長とか)をお招きした何かの講義とかで、先生が
「皆さん何か質問ありませんか~、あるでしょう~、日ごろ疑問に思ってることぉ、何でもいいんですよ~」
ってこっち(学生)を煽ってくるやつ思い出しました。
10 なんかしゃべんないと友達になれない
誰かを見てちょっと笑って何も言わないこと、ある。
あるので何だか責められてる気分になりました。
11 こだわる男
小津安二郎の区切り方・・・
おづやす♪じろうを♪ってすごい。日本語が母国語じゃない人みたいな区切り方。
このこだわる君は、塩でてんぷら食べたり、添加物気にしたり、まくらも気にしたり、ナイキの限定履いてたりと、食べ物も着る物もお金かかってる。
小津安二郎を語るところからも趣味の面でも全てにおいて“本物(と思われるもの)志向”みたい。
何の仕事してる何歳くらいの人なんだろう。
トラックに轢かれた人の部下なんじゃないかと思ってる。
12 全国大会
「全国大会まで行ってから呼んでください」
「県大会には彼女とか両親を呼んでください」
「彼女とか両親は先輩のこと とっても大事に思っていて 県大会だって絶対楽しんでくれる」
もうほんとそう思う。
披露宴には呼ばないでください。2次会だけだったら参加できます。身近な、煩わしいが本人も周囲も善意で声をかけてくる断りづらい行事に置き換えやすい。

以上、エ〇タフ感想文でした。

 

2015年11月頃に書いていたものを転載

ゴミみたいな恋愛記事を

桜も終わる頃、私は某Yさんとネパール料理を食べに行き、そのおよそ一ヶ月後、かなり確信をもってYさんの彼女だと思われる女の子とスイーツを食べにいったのだった。
そして月末には彼女(推定)とフジロックへ行く。
それと金に困った私は恋愛サイトの恋愛コラムを書き始めている、正確にはまだ使い方に慣れず書く手前で躓いている。

しかしこのライター登録をしたサイト以外ですでに「出会いのあるバイト5選」を仕上げ小金を得ている。

つまりネットの恋愛記事は信じなくてよいということだ。
そして私は金がない。
先日上司のご兄弟が亡くなり、御愁傷様ではあるがまあ兄弟だし社会的にはわたしは通夜等に参加する必要ない、よね?と思っていたのだが部の人はみんな行く気まんまんで行かないという選択肢がなかった。私の手取り、しかも給料日前にお香典5千円が消えるのは無理無理無理無理無理である。

他人の死を悼むより憤りが勝った。
そして在宅ライター門戸を叩いたのだった。

扉はテスト記事を書いて簡単に開かれた。

金がほしい。

事の行方

告白はまだ読んでいない



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そうと決まればやはり彼女はそれを言わなければならない

言う必要に迫られている

そう思うかもしれない。

私は待ち構えている。

2回目の会合が遠方へ連れだっていくとなれば、やはりその前に一度、もう一度会っておいて交流をあたためておいた方が良い。

そしてあれに行くとなれば、このまま言わないでおく方が不自然だと思われる。それは打ち明ける立場の人にとって。

本人の口からそれを聞いたとき、どんな反応を示すだろう。
予め反応は用意してあるし、ある時以来、と言うかそれを確信して以来、その場を鮮明に想像していた。

しかし自分でも予想していない反応や考えを発露するかもしれない。

ある部分では自分の予測不可能な行方を楽しみにもしている。


長い間、その期待感は私の原動力の一端を担っていた。期待感をそのまま保持するのならば、物事は曖昧な方がよく、核心に触れないままいつでも都合よく解釈できる無形の、そして無用の長物である方がよい。

当然白黒はっきりさせることへの恐れから、そうした策をとって来たのも事実である。

しかし私の事実より、目の前にある他人の事実の方がより意味のある崇高なものに思えた。

私の無意味さ稚拙さはよりはっきりと照らし出されたはずだか、不思議と活力を与える。
単に彼女の顔が好きだと言うこともある。

私の実態のない期待感は消え去った一方で、はっきりとした形で私に意味をもたらした。ように思っている。