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日記

日記です

でもそれ全然いいじゃん

「でもたまに、その幸せのハードルについて、暗に低さを指摘してくるような作品に出会ってしまうわけだ。そういう作品は、自分の楽しさや幸せさを発揮するような形ではなく、むしろ不幸そうな顔をしてやってきます」


最近N町さんのTwitterを見ていたら、とある話題の本について、私はぜんぜんだめだった、世間の言うような感動とか共感はなかった、というようなことを書いていた。その時点で本のタイトルは伏せていたが、後にやはりこの本だったか、と明らかになる。

そして、冒頭に書いた一文はN町さんの、その本に絡むツイートである。


その本を読んではいないがタイトルもインパクトはあるし、そのタイトル通りの"悩み""障害"を乗り越えた夫婦の話のはずである。

たしか某人気バンド(ヒットチャートに乗る系ではない)のある曲は、この話を元に作られたときいたことがある。


で、私がN町さんのツイートを冒頭に引用したのは、もちろん私も本を読んだらN町さん的考えがよぎるタイプだろうと思うから。


本を読まず憶測だけで書くけど、夫婦間に端から聞けば笑ってしまうかもしれない障害があり、確かに深刻でもある。
時間がたてば折り合いをつけて、こんなことはとるにならない"障害"だったと笑えるのかもしれない。だけど、この辺の性にまつわる悩みというのは、なぜだか人格の根幹と関わるような気さえしてしまうので、自ずと悩みは暗く深いものとなるのだろう。


だけど、これはある夫婦の悩みなのだ。
愛し愛される二人がいて、初めて生じる悩みなのだ。
愛し愛される、許容され、容認、承認されるべき存在であることをお互いに十分すぎるほど完全に認知し合っている二人の話なのだ。
そこに(たいていは)条件とかしかるべき理由とかはない。
血の繋がりのない他人同士が、お互いのこれまでの人生を含むその人そのものを、無条件に受け入れ合い、全肯定しているのだ。

この本は、それをクリアした人たちの話。
自分が無条件に全肯定されるに足る人だということに、否定や疑念の気持ちを持たない。

この否定や疑念の気持ちを持たない、にはあまり努力とか"生き方"は関係ない。と、思う。持ち前の肯定感の量の違いのような気がする。

そうすると、聞いてもいないことに気づかされたような気がして、暗い気持ちになるのだ。
今日までに積み上げた、何度も積み上げ直した肯定感が、彼らの笑い声の振動という微力によってまた崩れる。
そしてやっと積み上げたと思っていた石の山がただの段だったと知る。知らされる。

簡単に言えば、何で私はこんな低い段を作って喜んでたんだろう。である。


と、おそらく、この話題の本はそういう読後感をもたらすのではないかと思っている。

だから世間は感動するし、勇気をもらう。
なぜならこの夫婦と同じかそれ以上のレベル(とは?)にいるから。

そして私は、その段階にすらいないので、親身になって感動することは出来ないのだ。

これが完全に創作のストーリーだと別なんだけどね。物語として感動できると思う多分。

以上。



だからジブリが好きなんだよな。
この前段階の、自分が積み上げた石の"段"が尊いものなんだよ。と教えてくれるから。そうだそうだよ
、忘れないでね、って気持ちになる。

姉御あるある

会社で部の新年会も兼ねて一時職を離れるAさんをおくる会をしようと上司により開催された飲み会。

おおかた予想はついていたけど、飲み会が始まってからずっと、「ねえBはもう終わったって?」「Bから連絡あった?」「もう終わるのかな?」「でも今からならまだ間に合うよね」
と部下Bのことばかり気にしていた。

お気に入りの部下Bと飲みたいのが本音だろう。

上司は(Bも)既婚者であるが、お気に入りの男子という恋愛シミュレーションプレイは既婚者の間で流行っているのだろうか。


大学生の頃、ゼミ旅行の幹事である姉御肌のリーダーシップをとるタイプの女が、沖縄旅行を提案し、当時片想いをしていた沖縄出身の男と現地でゼミ旅行のナビと称して同行していた。

合法的にオフィシャルな催しを私物化するのが得意なやつらだ。

にしても、Aさんをおくる会の名目にしときながらあんなあからさまにBは?ねえBはまだ?って永遠言い続けられるの頭おかしいよどうかしてる信じらんないし私のなかでかなり最低な行為。

そういうの目の当たりにすると嫌いになりそう。

オルタナティブ

私はこれがやりたいんです、と堂々と宣言できて実行している人は全然違うな。
ということは今さら言うことではないのだけど、つまらない馴れ合いやほめ合いだとかに時間を割きたい訳じゃないんだそういう人は。

だけど私の空っぽの核心に触れられるのを避けようとして、そういうチョコスプレーをまぶしている。と、せっかくの"本物"の人を胸焼けさせてしまう。


いい加減に描いていたなんとなくな"こういうことがしたいなあ"という空想が現実になりそうな時、それに値するだけの心構えと人格の準備が出来ていないと、相手をがっかりさせてしまう。


実のない称賛だけをまぶされても退屈だろう。
素直に正直に恐れず意志疎通するとはどうするのだっけ。

全然関係ない

みたいなーと思いながらまだ観れてない映画や、何かの展示を観たときにアンテナに引っ掛かった作品を、さらりと会話中の表現に織りまぜてる人がいて、世の中に存在していて、

ああ、それは去年も昨日も今も来年も、私と関わり無い、無縁の人なんだなーと思って虚しい。

ついでに、もしも無理矢理接触しても、私の
「おお!こんなところにアレを知る人が!つまりそなたもアレをお読みになったということじゃな!なんという奇跡じゃっ…うっ…うう…」

というテンションでは確実にない。

だってその人にとってはそんなこと知ってる人なんて珍しくないからね。

経済活性化

カレー沢さんのブスの本懐やっと買った。その中で"男性にとっては身体的にも精神的にも急所"という表現があったので、ふと思い付いた。


男性の衣服が、基本お尻は隠れてるんだけど正面だけ見えてるというスタイルだったら、下半身のメイク用品や美容ケア用品が売れて経済が活性化するのでは。

そして同性には主にサイズが平均以下だと見なされた場合(本人にとっても一目瞭然の場合が多いと思うので)、例えばいいナイトパンツ(ナイトブラの発想で)の話題を持ち出すと、デカいやつに「えっ?お前がソレについて講釈垂れるの?」的な冷めたニヤつきの目で見らるのかも。
いや、男性同士だと、"そこ"のサイズ感について触れるのはあまりに酷だと自覚があるので「そんなことないよ~」的なやり取りが生まれるかも。
そこで女からは審美的に劣ると認定されると"軽んじていい"という暗黙の了解が生まれるかもしれない。(しかも同性同士だと"デカいから上"と思ってた男より形がいいとかで意外なやつがモテたりして、男の美下半身と女から見た美下半身は違う!という新たなあるあるが生まれるかも)

しかし男から女(顔が審美的に劣ると判断された女)に対する"ブスのくせに"という無言の枕詞、「(ブスのくせに)化粧品とかこだわったりするの?」「(ブスだけど)ナンパとかされたときどうすんの?笑」の若干侮辱が透けて見える扱いは減るかも。
自分がされるのが嫌だから。
自分の下半身について同じような侮辱をされるのが怖くて嫌だから、無くなるかもしれない。

今は乾燥の時期なので保湿はしっかりしましょう!
今年の下半身メイクのトレンドは、マットな質感の素肌づくり!
大きく見せようと盛りすぎると、女子は引いちゃう!あくまでもナチュラルメイク。流行のラメを取り入れるのも忘れないで!

自分のカラを破って…

自分のカラを破って!的なことって誰が考え付いたんだろ。

おとなしい自分のカラを破って、明るく活発で行動的なアゲぽよになって。

が多分正解で、

おとなしい自分のカラを破って、周囲に迎合せず愛想笑いすらしなく、嫌なことは嫌とはっきり自己主張して。
ではない。

自分のカラを破って、私の期待通りの反応をして。
自分のカラを破って、私の期待通りの反応をすることを楽しんで私の期待にそうことを喜んで。

身体を使って表現するのが得意な人、カラオケでダンスするとか、プラスやマイナスの意思表示をはっきり言葉で表すとかが得意な人に、意見を言うのが得意じゃない人が合わせて迎合するか、同じ声の大きさ強さを振り絞って叫ぶとかして釣り合わせていかないといけない。


職場のコンサバ系女子に今度○○(うちの近所)にあるパクチー料理にいきましょう!と誘われ、いいですね!とは言ったものの社交辞令だろうと思い忘れていたんだけど、また「仕事帰りいきましょうね!」と言われ、あれ?本気なのかな?と困惑している。

正直なところ、お互いさして楽しくはないんじゃないかと思っている。
なぜ誘ってきたのだろう。
やはりこういう明るい人は、いまいち距離が縮まっていない同僚とはあえて飲みに行って気まずさを解消しよりよい働きやすい環境にしよう!と考えるのだろうか。

人ははっきり言って人の話を聞いても楽しくないと思っている。自分の話をする分には楽しいが、人の話を聞いて相槌をうっている間は楽しくない。

会社内での私と彼女の関係は、私が自分のことを話さない分そういう関係である。

彼女は自分のことを話す、と言っても腹をわって本心を話しているわけではなく、人に見せても無害な部分をさらけ出して(つまりさらけ出してはいないし、必要もない)いて、休日どこに行ったとか、何にハマっているとかそういう話である。
私もギブアンドテイクで休日映画(シンゴジラとか)を見たとか話せばいいのだが、というかそういうことが本当にあれば話しているのだが、そういう誰にでも伝わる近況のような浅いネタがなくてあまり自分の話をしない。そのため聞き役に回っているので仕方ないといえば仕方ない。

しかしそんなわけなので、万が一食事に行った場合も、その道中から帰り道まで「楽しかったですねーまた行きましょう!」なんて言っても実際は間があきすぎないように言葉を繋いだり、会社の人なのであまりにネガティブな話題は避けたりと、なにかと気を使う時間になるのが億劫である。

誘う側はそうでもないのだろうか。
そうでもないのだろうと思っている。

というのも多少は(私の方が後から入った後輩というのもあるし)見下している、というのは言葉が悪いが、私が彼女にとって脅威ではないのでどう思われてもいい(ある意味どうでもいい)し、だから彼女なりの"楽しさ"というかやり方に私を付き合わせる形になることに関しては何も思わないからこそ誘えるのだろうと思う。

私はと言うと、彼女と仲良くなることはないだろう、不可能だろうと思っていて、それは明確な根拠はないがおそらく単に見た目の差だろうと思う。
見た目の違いはライフスタイルの違い、人生へのスタンスの違いでもある気がする。

最近マンボウやしろ(だったかな)のコラムを読んでいたら、こんなことが書いてあった。
男女は3種類に分けられると。

男として生まれ男として生きる人
女として生まれ女として生きる人
人間として生まれ人間として生きる人

この中でも、男として生まれ男として生きる人と、女として生まれ女として生きる人同士は上手くいく。
しかし、人間として生まれ…の人は男として、女として、の人と(ここでは恋愛関係に特化した話だったが)はなかなか上手くいかない気がする、人間として生まれ人間として生きる人はそれ同士じゃないと。
という話だった。

彼女は完全に、女として生まれ女として生きる人である。
それは別にいいことだと思う、というか私には関係がない。しかし、大きく根本的に違う人と異文化交流して楽しいと思える(自分磨きや、視野が広かっただのとの名のもとに楽しいと自らに誤認させる)年齢ではない。

彼女は容姿に自信があるので、自ずと社交性にも自信がつく。彼女と話して楽しいとは思わないが、社交性とは楽しいかどうかより、笑顔で話しかけるのが得意かどうかだ。

よく他の男性社員に友達と行ったプールの写真、水着姿の写真を見せたりしているので、容姿に自信があるし、だからこそ人の目に触れされたいのであるが、痩せているのは羨ましいものの、ビキニ姿を人に見せることへ価値を見いださないタイプの私が、彼女と心を通わすことができると思っていないし、心を通わすなんてことはおそらく彼女も重要視しておらず、何かしらの体裁のためのポーズなのか、食事に行き日頃の会話量が増えることが自分にとっての何らかのメリットになると踏み、そのための飲みに行きましょうなのかもしれないが、私は会社に話す人がおらず退屈することには慣れているので、いわば"付き合い"のために食事に行きたいと思わないのである。

私は彼女に(マイナーな)ライブに行った話も、近所のギャラリーでやっていた展示の話も、最近読んだ本も、彼女にとって(そしてそれを話す私にとって)退屈するだろうから話すつもりもない。

脱線するが、少なくとも会社の男性は、私が、というかおそらく"私のような人"というのは、本心では"彼女のような人"に憧れているがそうなれない、なれなかった、つまり未到達、未完成、未成功、失敗してしまった(でも大丈夫、キミにはキミのよさがあるよ笑)と捉えているようだと思う。

女として生まれ、女として生きていないひとは、生きていないのではなく生きれない、本当の自分→女になりきれていない、と思うのだろうか。

そういえば隣のデスクの男性に何か冗談を言うような場面で、「カワイイは作れる!ですよ 笑」と言ったら「自分がなってから言え」と言われました。

大人になってから遠回し(でもないか)にでもブスと言われたのは初めてかもしれない。

こういうことも我慢して、飲み会ではブスながらもダンスとかして、コンサバ女子の聞き役に徹する…というのは誰にとって幸福なんだろうか。

ジジイむかつく

先に着いたので駅から店までの道を上司たちとのグループラインに書こうか迷っていた矢先、会長(70代)に「そこ立ってたら通れないだろ」と言われ、断言するけどバッチリ睨まれもしたので「今日で会社辞めますお世話になりました!」と言う日まで2度と口ききたくねぇ!!!!!!!!!!!!

と思って幕が開いた忘年会。

その会長は「僕はレディファーストだからねぇハ ハ ハ」みたいなこと言うキャラで中尾彬みたいな空気の読まなさ(世代的にみんなそうなんだろうけど)を兼ね備えた外資系大企業出身のおじいちゃんである。

が、レディファーストを自称しているけどんなもん嘘っぱちで、だいたい人間の習性としてそれが染み付いているんなら 先に書いたような台詞は出て来ないわけで、どうしたって「はいごめんね~通るよ~」みたいなかんじになるわけで、それなのにみんなの前では"レディファースト紳士"ぶってんのがくっっっっっっそ腹立つ。

そもそも自称レディファーストの紳士様たちは、容姿の女性性に重きを置いてない女はレディにカウントしてないし、まあ気持ちわかるけど反応悪いしね、でもそんな中途半端なレディファーストならやめっちまえよ!って話なんだよ!

その後も段取りを決めようとか言い出して「じゃあ○○さん(私)はお客さんみたいに座ってんじゃなくてマイク渡す係りな、それとー…」
はーーー?!!!!!!!!!!!!ですよ、レディファースト笑 紳士がイヤミいいやがった。

私はノリは悪いけど仕事は真面目にやるし今も食事を取り分けたりとかやってたのはその老眼には見えてねえのかよ!てめえに嫌みを言われる筋合いはねーんだよ!ふざけんな!

とは言ってもジジイへの苦手意識から距離置いてるのは私が先だからなつかないのが可愛くなくて嫌いなんだろうとは思うけど。

もともと男の人から好かれにくいタイプだけど、世代を越えて通用するようです。

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