日記

日記です

友達が入籍かなんかしたらしい

ラインで入籍報告が来て、そのまま飲みに行くことになったので行ってきたよ。

その入籍した友達と、共通の友達もう一人と、私と。

 

ところで人間は2種類に分けられるのです。

それは家に帰ると誰かが待っている人種と、誰も待っていない人種。

今回この3人のうち後者は私だけです。

 

飲みに行った場所は池袋。

普段まったく用事もないのでここには足を運びませんが、今回の主役である入籍した友人も、もう一人も、最寄りの大きな駅と言えば池袋なので、まさか、新宿にしない?それか渋谷とか・・・なんて野暮なことは言えませんのでね、おっけー!の一言で行ってきました。

 

行って久々に会って飲んで、楽しかったよ。

結構長居しました。楽しいけど、帰るのが遅くなっちゃうのって何かと不安があるよね。

 

ここで一見、3人とも同じ分量の夜道の怖さを抱えてるように見えるかもしれないけど、この2種類の人間では、恐怖の重さは全く違うよね。言うまでもなく。

 

それにしても大きな発見があった。

それは、数年前に比べて私にまったく攻撃性がなくなったこと。

今でもこんな風に、わざわざ祝いの言葉をかけるために池袋まで出向くのは少し面倒だなあ、まあでもこれも大人の義務だよね。と消極的でネガティブな意見がまず出てきますが、前は友人に対しても、人を傷つけてやろうっていう意思が見え隠れすることってあって、わざわざ冷たいことを言ったりとか、これ言われたらこの人は嫌だろうな、っていうのを分かってて相手の嫌がりそうなニュアンスを含んだ物言いとかしてたのに、それが全く起きなかった。

人を傷つけないのって気持ちがいい。

 

攻撃性が無くなった理由の一つとして考えられるのは、やっぱりここ半年から1年の生活が充実していること。今までの私の人生になかったスムーズさが生活の中に浸透してる。こんなに楽しいのって大学時代以来かも。それとも1度就職で沼の底まで落ちたから、水面に顔を出しただけでも空を飛んでるかのような気分になってるだけかもしれない。

でもこんな風に、関わりたい人と関係が発生するって、人生で無かった。いや、大学1年の時に留学生に日本語を教えるというクラスの手伝いで、ずっとカッコイイと思ってた人と知り合いにまで持って行けたとき以来かも。

そういうわけで、ある程度、幸福感とか満足感とか充足感があれば、人のことをうらやましがらなくて済むから、いじわるしてやろうって思わなくなるのかも。

 

またはもう一つの理由として、もう完全に私自身が、そっちの方面では負けを認めて白旗を揚げているのかも。なぜなら、同棲も婚約も“人生”で、私のときたまある“楽しいイベント”なんて天秤にかけられないくらい重さが違う。

リリースイベント(への参加)と、ライフイベント、この2つをどうやって同じ並びで話せってーのさ。

「入籍したの!」「おめでとう!・・・実は私も・・・○○のイベントに出るんだ~っ」って?まるですっとんきょうで頭の悪い返答だ。

 

そういうわけで、人生の本筋レースはもう完全にお手上げで、彼女たちを別人種、別世界の住人としてとらえてるのかも。悲しいかな、ハッピーエンドはおとぎ話っぽいけど、この場合、地に足のついた現実的なハプニングが起きているのは彼女達で、ファンタジーの世界に身を置いているのは、ハッピーエンドを迎えていない私の方。

 

その事実、現実をただただ見つめただただ見守り、ただただ受け止める。

っていうことができるようになった、つまり大人になった。これも理由の一つなんだろうな。

少なくとも3人の中では私が1番性格が歪んでいたけれど、それでも同棲中の友人だって負けず劣らず、嫌がるニュアンスを含んで相手を言い表す、ってことは攻撃の常套手段だったはず。でももう全くそんなことはしない。それは今が幸せだからか、大人だからか、もちろんその両方だと思う。

 

前に共感百景を見に行ったときに、共感詩から優秀賞を選出したり評価をする役の東直子さんが、誰かの書いた共感詩について、「これはすごくわかりますね、大人になるともう無駄に傷つきたくないじゃないですか」って言ってて、私はすごくうなずいた。

得る物のない不毛な戦いってある。大人になるとそれがわかる。相手を攻撃して言い負かしても、それは自分の糧にならない。だけど、誰かに攻撃されて言い負かされたら、時と場合によってはかなりの痛手になる。

だから、白旗を揚げて戦う意思が無いことを表すのも、無駄に傷つかないための防衛策なんだろうな。