日記

日記です

ソフィスティケイティッド・ レディ

カフェでデューク・エリントンのSophisticated Ladyが流れてたけど、あ、ソフィスケイティドレディだね、なんて友達の話している間に口をはさむなんてできない。たしか、友達が元彼と別れるまでの経緯を話していた時だったと思う。

 

カフェに入る前、本屋に立ち寄った。友達がレジを済ませているとき、平積みされた「コーヒーと恋愛」を手に取ると、解説が曽我部恵一だった。なんとまあ。

某日めくりカレンダーに「コーヒーと恋愛の日」があったことが思い出される。

私が友達にこの本知ってる?と聞いてみたところ、本も曽我部恵一も知らなかった。私も詳しくないので、曽我部さんの説明は、はっぴいえんどとかが好きな人が好きなんじゃないかな、くらいしか言えなかった。ちなみに伝わらなかった。

 

カフェに入った後バーに行った。

 

お酒を出すお店の、キレイに整備された薄暗い明かりのトイレは落ち着く。

考え事にぴったりだと思う。

そういえばジャン=フィリップ・トゥーサンの「カメラ」の中でトイレに入った瞬間考え事の時間が沸いたと喜ぶ主人公がいたけど、その気持ちなんかわかる。

 

最近、キャリーの年齢に近づいてきてよく思うことは、あんなに高校生の頃SEX AND THE CITYにハマってああいうのに憧れれていたのに、実際に充分大人になってバーなどに行ってみると、案外お酒の瓶を眺めるのくらいしか楽しくないということ。

 

コスモポリタンもドライマティーニもあったと思うし、マンハッタンもニューヨーク(たしか強いお酒だったはず)もあったけど、私が1番美味しく飲んだのはギネスビールだった。

 

友達と話していても、友達の話すことに曖昧な相槌しか打てなくて、ばかになったかのように頭の中に何も浮かばなかった。

私は最近前よりつまんないやつになった、と友達に自己申告してみたら、前より毒が無くなったと言われた。

 

そうかもしれない、最近めずらしく楽しくて毒が無くなったかもしれない。

でもそれもあるけど、最近すっかり特定の自分の興味のあること以外には興味が無くなって、それ以外、のこととなると全くといっていいほど楽しくない、というのが大きい。

 

ふと思いついて、うっかり最近あった嬉しい出来事を説明したくなってしてしまうんだけど、毎回“ダメ”にしてしまう。

 

私が嬉しいとか楽しいと思うほどに、相手は共感しないので理解は求められない。よって相手に話は全く通じず、私が恋愛の話や仕事の話に対してふうん、という感想しか持てないのと同じように、にこにこ笑顔をされながら曖昧な相槌を打たれ、喫煙を加速させてしまう。

あるいは、どれだけその出来事やある人物が素敵かをくみ取ってほしくても、それはせいぜい、街で偶然芸能人にあって握手してもらったとか、そういう分かりやすい“テンションの上がる出来事”と同じようにカテゴライズされてしまって、自分の身に起こった、後生大事に和紙に包んで引き出しに仕舞っておきたい出来事なんて、その程度のことだったのかもしれない、と自らの手でその神聖な部分みたいなものを台無しにしてしまう。

そう、後生大事に和紙につつんで引き出しに仕舞っておいて、時々自分一人で取り出して眺めたりなどするものなんだきっと。

 

だから、その神聖な部分が共有できる人なんかがいてしまうとまずいと思う。好きな世界とその他の境界をはっきりさせてしまう。

そんなことしたって、現時点ではあまり得はないように思う。