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日記

日記です

つづき トリプルファイヤー ジミヘン編

トリプルファイヤーのジミヘンドリクスエクスペリエンスは、もうどこから褒めていいのかわからない。

ジミヘンドリクスエクスペリエンスという言いたくなる言いづらさからとてもいい。

 

この曲を聴くと、バンドをはじめようと思っている高校生が、男子からも女子からも慕われて面倒見がいいと評判のバンドをやっている先輩に相談しに行くと、

「おまえさあ、ジミヘン聴いたことある?ジミヘンは聴いたことあるの?」

と鼻であしらわれる図を想像してしまうんだ。

 

“君はジミヘンドリクスを聴いたことがあるか”“君はジミヘンドリクスを経験したことがあるか”

という歌い出しから、私はもう吹いてしまった。だってこんな発言はギャグにしか聞こえない。だんだん、ああ、なんかこの人すごく「ジミヘン」って呼びそうだなあとか思っていると、出てくるんです。

“人生のある時期にジミヘンを経験したやつとしか共有できない気持ち? それは もう 確実に ある”

っていうのが。ジミヘンって言った。そして、ここの“?”の部分に皮肉が集約されているとしか思えないんだけど、というか私はこの曲を頭からつま先まで皮肉で構成されているようにしか聞こえないんだけど。でも皮肉というほどの攻撃性や強い批判精神は感じさせないのがまたいい。(それは歌い方が全体的にヘボいということが功を奏していると思う)

 

ジミヘン、私はラジオのパーソナリティとかアーティストのインタビューでしかその名前を聴いたことが無いので、よくアーティストの口から語られる人というイメージです。

 

後半、歌詞はなぜか社長が自身の生い立ちを吐露します。

やんちゃしたこともあったけど、それが社長として成功した今に繋がってる的な内容です。よくビジネス書とかの表紙の折り込んだとこに、写真とかっこいい略歴がのってたりするけどそんなのが浮かびます。

 

そして歌詞はジミヘンから広がりをみせます。

“君はもぎたてのトマトを食べたことがあるか”

“学校の先生に殴られたことがあるか”

“音楽を聴いて泣いたことがあるか”

ドストエフスキーを読んだことがあるか”

“好きだからこそ素直になれない気持ちがわかるか”

“ギターを弾かずにはいられなかった夜があるか”

 

この辺は、聞けば聞くほど言葉の重みが削がれていく印象で、もう気分爽快です。

もぎたてのトマト、ドストエフスキー、なんてある種の象徴的な言葉を拾ってくるのがうまいんだ。

ドストエフスキーは、もう一目で、なんだか深刻そうでなんだか重大そうだとわかります。でも“なんだか”の域は出ない。

おかげで、もぎたてのトマトについても同じ印象を持ちます。

なんか、良さそう。なんか、正の匂いがする。なんか。

そして再び

“君はジミヘンドリクスを聴いたことがあるか”“君はジミヘンドリクスを経験したことがあるか”と続きます。

 

よくありそうな耳触りのいいアツイメッセージを羅列するだけで、そこに並んだ言葉全体の質と、同時にそれを使う人のイメージまで下げることに成功しています。

 

と、私は思います。

子供の頃もぎたてのトマトを食べて育った(けどこんなやつにしかならなかった)私としては、もぎたてのトマトと健全な人間性を関連付けて提示するやり方にはもやもやしかしてこなかった。そして、ここに挙げられたパッと見の美談についても、なるべく気に留めないよう努めてきました。

でもそれらを笑うことのできる爽快感。

とても人様にはお見せできない爽快感があります。個人的にはですけど。

 

こういうのをアイロニーって言うんだったっけ。

とにかくすごくいいです。このアルバム自体すごくよかったです。

ライブもMC込みで見世物として完成されていてすごくよかった。

とにかく良い。

 

https://soundcloud.com/triplefire/jimi-hendrix-experience