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日記

日記です

大学時代の友人に会うⅡ

1か月ぶりくらいに大学時代の友人に会った。

なんとなく自分は彼女と対等に話をしようと言う気がないみたいでなんだか悪いなと思った。相手に対してと、自分の性格が悪いなと思った。

そんなんだから、なにか彼女が私について意見を述べても、好意的な意見であっても、私のことはいいからどうぞ自分の話を続けて、と言わんばかりに笑顔で適当に受けあって自分からは掘り下げたりはしないという感じになってしまった。おかげで彼女は自分の話を存分にできるのだから悪いことはしてないけど、昔だったらもっと私も私でかかりっきりになってる自分の問題みたいなのを必死になって話して意見を求めたり、気に食わない意見だったら反論したり理解してもらえるように説得したりしただろうに。

 

おそらく彼女の今日の話題第一志望は恋愛の話だっただろうと思う。

今日は最初から、彼女のペースで話を進めていこうという気持ちで臨んでいたが、そもそも彼女の恋愛というよりかは片思い未満みたいな話について、いまとくに恋愛だとかしていないし、もともと経験豊富でもない私が、お互いに恋愛観を交えながら“語る”という茶番はさすがにできなかった。(彼女も恋愛経験豊富ではない)

それに、彼女が本心をさらけ出して話すことはしないというのも目に見えてるし、私も私で本音を引き出すために会話の駆け引きをしようと躍起になるほど熱量がない。

 

それにしても、私もそうだけど、こと恋愛に関してとなると、友達に話す時でさえポーズを崩せないのはなぜだろう。

冷静で“見えてる”ふりをしてしまうのはなぜだろう。

とトイレで考えたりしたんだけど、それはやっぱり盲目的になっている姿を見てバカにされるのが嫌だからかなとか思った。何でそう思うかと言うと、自分が、誰かが恋愛の話をしているときに、そうであってほしいという願いをまるで事実の様に話す姿を見て、自惚れてるとか思って心の中では少し見下した経験があるから、他人も自分に対して同じことをやるだろう思うんだよね。

それと、思いもよらぬところで、望んでいない場面で、無理に自分の本心を引き出されてしまった時ってなんか悔しいというか負けた気持ちというか、弱みを握られたような気持ちになって、その後ますます見えないへだたりを作ってしまったりもするし。

 

だけど時々、それをしなくてもいい友達、つまり絶対にバカにしたり見下したりは(お互いに)しない友達がいて、その人には真夜中に電気を消した中、闇の向こうにあるはずの天井を見ながら、ポーズ無しの話ができたりするから、そういう友達って大事だなという再確認を今している。

 

なんで、本音をさらけ出して陰で見下されるのは嫌なんだろう。

ああ、これがプライドってやつか。

 

「○○(私)は今のままでいいと思うよ、今の○○を好きになった人と付き合うのがいいと思う、だって会社とかにいる時の○○を見て好きになった人じゃ本当の部分を見てないから意味ないじゃん」

と、食後のチャイを飲みながら彼女に言われた。

(つまり、一般的な社会に沿うように、ある程度外から求められた振舞いをしているときの姿は作られた表面的なものであって、そこだけを見て好意を持つ人は本質をわかっていないので、よき理解者になる可能性は低い、ということかしら)

 

が、これはもう私の中で何年も前に明白になっている欲求で、また、みんなそうなんじゃないかな、とも思う。

それと今回突っかかりたいところは、この“本当の部分”ってところで、つまり本当の私!みたいなところなんだけど、この本当の自分って、本当だと思いたい自分っていう言い方が正解に近い気がする。

好きなことをしている時の自分が本当の自分、だと思いたい。

そしてそこを“見抜いて”好きになってほしいという。(それも自分好みの人に)

これが本音で、もうそれは知ってる。(そして今や問題はそこじゃない)

だから、せっかくの彼女の導き出した意見に対して、天からの福音みたいに感動するとかはできなかった。

 

しかし、好きな人の話はしたいもの。次は、例えば彼のどこが好きか聞き出したり、彼の言動から好意らしきものがないか検証してみたり、もっと積極的に、かつなるべく純粋な気持ちで彼女の恋愛話に加担しよう。