日記

日記です

西瓜大好き

「君はあまり彫刻を彫るのは好きじゃないみたいだから、小説を書いてみたら?ここで最後に小説が書かれたのは30年も前みたいだし」

みたいなセリフが、正確ではないけどこんな内容のセリフが、リチャード・ブローティガンの「西瓜糖の日々」に出てくるので、いいなあ、彫刻好きじゃなかったら小説書いていいんだ、そんなあっさりすんなり人に勧められて小説書く人になるんだ、いいなあって思った記憶がある。

だったら私もアイデスの住人になりたい。

仕事は木彫りの人形を作るとかランタンを作るとか、畑仕事をするとか、交代制でみんな(小さな町のみんなが一緒に生活している)のご飯を作るとかで、なんていうか、楽そう。

けど、アイデスはあまりにも毒がなさすぎてあっさりしてるんだよな。(アニメの4畳半神話体系に出てくるサークル、“ほんわか”みたいな)

 

つい最近までいた少人数の店舗に異動してきたとき、ここはアイデスみたいだって思ったのを覚えてる。

若い人がいない店舗で、みんなとうの昔から家庭があって子どももだいぶ大きくて、だからか、なんていうか、おだやか~な会話が続けられるの。

昨日見たテレビとか、最近やってる何かのCMが面白いとか、面白いっていうのは、オタク的な味方をして分析したり掘り下げたりしたことを議論して確認し合う面白い、じゃなくて、もっとずっとライトなやつ。

auだかなんだかのCMの話題が月に1回は出て、「も~、よく考えるよねえ~」って言ってその話は終わる。

 インディーズバンドのライブやらルネ・マグリット展やらに足を運び、地下クイズ王に関心をもつサブカルスノッブ野郎には1から10まで全部“つまんない”で構成された場所で、何の期待もない分、ある意味心穏やかに過ごすことはできる。

 

そんな刺激のないぼやっとした会話に飽き飽きしてても、かといって、仕事とか恋愛に積極的な人が、仕事とか恋愛の話を積極的にしたときに、自分の頭に何の意見も生まれてこない時があるし、逆に、映画とか音楽とか本に興味がある人と、最近観た映画の話とか、村上春樹がどうとか、そういう話をするときも、なんかそんな話をしてる自分を客観的に見ちゃって、なんだかなあ、と思うこともある。(どちらの話題も楽しいんだけど)

 

でもまれに、この仕事恋愛ゾーンの話も、カルチャーゾーンの話も、あまりに前のめりに話すことを恐れる人、ある程度熱量をセーブする人、まだ探り探りな距離感の人と話す時は、ふらふらと平均台を渡る(それも無様にならないように)緊張感がありつつも、少し心地よかったりする。

多分、踏み外して仕事恋愛話の海にもサブカル討論の海にも落ちないだろうという安心感がある。

だいたいそういう人は、ある程度興味の矛先が似てる人だったり、そういうものが好きという前提の場で話すので、妙な仲間意識があって安心感があるのかもしれない。

 

西瓜糖の日々は、確か最後はとうとう収拾つかない揉め事が起こってた気がする。

3年前の引っ越してきてすぐの夏に読んでたな。