日記

日記です

お門違いなショック

まるでお門違いなショックなんだけど、私と話しているときにはそんな素振りまるで見せなかったのに、ひとたび同調できる人を見つけると「そう!そうなの!」と少し安堵の表情なんか見せながら同意している人を見ると、本当はそう思っていなかったけど、私がそうだと思っていたから、そういう素振りを見せずにやんわりと同調していたんだ、だけど本当はそうは思っていなかった、同調はまるで本心ではなかったんだ、と気付き、取り残された気分になる。

ここで信用ならないとか、だったら本心を言ってくれていれば・・・というのはよくある定番の流れ。初めから本心を、なんて、最初から正直に言ってくれていれば怒らなかったという嘘とおんなじだ。

きっと私は同調されていなかったらなんか嫌なこと言ったはずだ。

 

きっと自分の信ずる意見以外は寄せ付けない雰囲気があるのだろう。それは友人関係にある(と思う)人でさえも遠慮するくらいに。

 

 

はたして私は正直なのだろうか。

でも正直である必要ってあるのか。正直でありたい相手はだれだろうか。

上記の出来事では友人にとって私は正直でありたい相手ではなかった。

こういう時、友人Mは私と意見が違っても同調したフリはしなかったなあと思う。

Mにとって私は正直でありたい相手だったのだろうか。いや、そこまでの堅苦しい誠意って友達には無いきがする。それは不誠実という意味ではなく、信頼の問題。

どうでもいい、分かりあえると思っていないしそこまで求めていない相手であれば適当に同意するし、自分の意見なんて知っていてもらわなくても結構だろう。(残念ながら私はコレに該当するのかもしれない)

 

尊敬する人や好きな人だったら正直でありたい、誠実でありたいと自発的に意識的に思いそう。

嘘つかなくていい、くらいの余裕がある誠実な関係が友達かもしれない。

だけど実際のところそれは目に見えないので相手がどう思ってるのかはわかることはできない。