日記

日記です

人前で自分のことを話したくなくなる

そういえば、葬儀で親戚が集まった時、思ったより私が転職した話は既に皆知っていて、軽くどういう会社に就職したのかと聞かれ、IT系の・・・とか手短に答え、当然田舎の60代にはあまりピンとこないもので、この少なすぎる情報は咀嚼する間もなくするっと消化され「うんうん、まあ、若いもんね」と頷きながらふと視線をそらすという具合でこの話は終わりとなった。その間5秒程度だろうか。

しかし、その視線をそらす受け答えで、安定の代名詞みたいな前職を辞めたことを浅はかで間違った決断だと認識していることは、若いもんね、の一言も合わさり決定的である。

それはいいとして、実家に帰ると、普段の生活よりさらに結婚は?の質問が多くなり、まるで記者から囲み取材を受ける芸能人の気分、になることなんかなく、誰も私の気持ちなどはお構いなしに適当にいろんな反吐を投げつけて通り過ぎていった。

それでも親が投げつける反吐はそれなりにしっかりしたもので、映画キャリーでいじめられっこの主人公が仕組まれた罠にひっかかり、ステージで豚の血まみれになるシーンのごとくその計画は綿密で、まず、身近で自殺したひとり暮らしのおばさんの話とか、親戚の隠居して仕事もしてない独身のおじさんの話を伏線としてばら撒き、それを回収する形で、「独身だとみじめだから結婚しろ」というのが、父親が私に頭からぶっかけた豚の血である。

ストーリーの組み立て方は陳腐だが悪くない。評価する。

しかし私にはキャリーのようなサイキックな能力は潜んでおらず、怒りのパワーで車を事故らせるなんてできるわけもなく、長年培った我慢するとかやり過ごすとか、おなじみの芸当で処理していった。

 

 

本題だが、会社だとかよく知らない他人の前で、自分の趣味や休日の過ごし方について話すのが苦痛である。

 

何をしていても、何かが欠けている生活を送る人、という目で見られるから。

 

何をしようと、“ああ、だから結婚できない”あるいは“結婚できないからこういう趣味に走るのでは?”などと思われていると想像するからである。

 

結婚や恋愛をしていないから、ライブとかに行っている、買い物をしている、読書をしている、そういうものに注ぎ込んでいる、熱くなっている、イタい。

私が休日は何をしていたと言えば(聞かれたから答えたまで)受け手の笑顔が物語っている。「ああ、そういう楽しさで紛らわしているのだな」とか「こういうのに夢中になって、肝心なことを疎かにしてしまってるんだな」とか、そんなとこ。

何を言おうが、少しかわいそうなわかってない人として見られている気がする。

しかし私の肩書が既婚者であれば、バカみたいに服を買っても、ライブに行っていても、家庭と仕事と趣味とバランスのとれた人、なのではないか。

 

そういうわけで、人前で、自分について話すのが嫌になる。

毎日会社に行って真面目に仕事して、今日まで律儀に生きてきているのに。

彼らから見れば、読書は現実逃避で、ライブは夢見がちな少女性の名残で、買い物は寂しさを紛らわしている、と言ったところだろうか。

 

だけどもしそうだとしても、真面目に働いて税金を納めていることに変わりはない。

 

もしも(そんなわけ絶対にないけど)本気で私のことが、私の行く末が心配で心配で夜も眠れないなら、余計なことは言わず、その辺のことはほっといて、自主性を重んじ、自由にのびのびとやらせるべきではないか。

ゲージに押し込められたニワトリより放し飼いのニワトリの卵や肉のほうが上質で美味しいと聞くし、そうした押し込められた家畜たちを見て、“感じやすい”人はかわいそうだと涙を流す。

かわいそうだと思うなら、せめて自由を与えてやるのはいかがであろうか。

うわべだけでも肯定的な意見を述べるボランティアを私に行う、と思えば、一日一善、気分も良くなるだろう。