日記

日記です

無いのは出会いではなく魅力

出会いが無い、というよりは私には魅力が無い。

なんてことは今までも何度も何度も書いている気がする。

ただふと、一見イカれてる風な人が結婚していたり、クズ感を売りにしているような人が長年ちゃんと付き合ってる人がいたり、そんなのを見ると、しらないところでみんなしっかりちゃんとしてるし、一時のテンション高い恋愛期間を過ぎても、きちんと他人から好かれ続けるような、人としての魅力を維持し続けられるんだな。なんとなくぼやっと真面目に働いてる真面目そうな私って、強いて言えば真面目さしか取り柄がなかったんだなと痛感したまでです。

 

それは(もう)いいとして。

 

大森靖子ちゃんて人気だけど今のところあまり魅力がわからない。ライブは偶然居合わせたことが2回あって、1回目はチラッと最後の曲だけきいて、2回目はたまたまシークレットゲストみたいな形で2曲くらい聞いて、意外と中島みゆきみたいなんだなあという、おそらくあまり当たってない受け取り方をした。印象的ではあった。

ともかくすごい支持されてる。支持する人たちの気持ちがわかりたい。

って思ってたんだけど、最近夜中になんとなくyoutubeをみていて、けっこう感動したライブ映像があって、そして「絶対彼女」を聞いて泣いた。

今やっとハマりかけている。

しかしながら、もともとこういう曲は全然趣味じゃなかった。

年をとると感性が鈍るから割となんでもいけるようになるのか?とも思ったりした。

あるいはここ最近いろんな音楽を聴くようになって受け皿が大きくなったのかもしれない。

あるいはいつのまにか心臓移植でもして趣味趣向が変わったのかもしれない。

 

 

 

以下は歌詞の解釈ではなく、単に靖子ちゃんの曲を聴いた印象と感想です。

ともかく思ったことは、私たち(私や私の周り)は自分の少女性というか女の子の部分を自分でも直視できないでいるのではないかと。

私たちと言って勝手に味方を増やした言い方をしたが、他の人のことは分からないので、正確には私は自分の中の女の子を直視できない、向き合えないでいるのではないか。

といっても、とりわけ何かトラウマめいたことが根深く残っているとか、スカートは絶対履かないとか、彼氏いない歴イコール年齢とかではない。

たしかにモテない自覚はあるし、CanCam系の格好はあまり趣味ではないのでしないが、女性らしくすることに抵抗があるとかではない。

 

それでも、「私は女の子なんだよ?弱いの。守って?」って言えないな。

言えますか?

女の子なんだよ?弱いんだよ?だから守って?って。

“弱いの守って”を具現化した容姿で生まれてくる人とそうでない人がいるが、誰の中にも居るはずだ。弱いの守ってが。

それは、どんな男の人の前でもいつでもその引出を開けて「だから守ってね」が言える人と、特定の、つまりは彼氏だとかの前でだけその引出を開ける人といろいろだと思う。

「女の子なんだよ、弱いの守って」の引き出しを開けて見せられる信用した人じゃないと先に進めない。が、こちらが自らそれを開けないと相手も踏み込めない、つまりは心を開くってやつ?それをしないと人とくっつくことができない。

それに、そのくらい相手に預けたいし、こっちもそのくらい預かりたい、と思える相手じゃないと踏み込んだ関係を結ぼうと思えない。

セックスは弱いの守って?が物理的に共有される現象にも思う。男の人はそうじゃないんだろう。女の人もSATCみたいなセフレとかアトラクション感覚のセックスはまた別と思うけど。

 

失礼ながら、大森靖子ちゃんが「女の子なんだよ」をいろんな形で噴出させることで、とてもひりひりとえぐられる。そこが響く。

 

ムートンコートの上からひっかかれてもおそらく痛くはないが、ノースリーブから出た腕を、それも内側の日焼けもしてないすべすべの部分をひっかかれたらとても痛いだろう。

白い肌の上の傷はさぞ目立つし、痛みよりも、その傷がついたことがショックで泣き出しそうだ。

今更わざわざ言うことでもないが、やはりさらけ出すことは傷ついたときのダメージが大きい。

だけど私って女の子なんだよ、を封印してしまうとなかなか恋愛関係を構築して継続していくことは難しいように思う。

自分を見せて知ってもらって信頼して、というのはなかなか難儀なことである。

 

そういえはいつだったか、トーク番組で北陽の虻ちゃがんが何かを相談したらしく、番組のコメンテーターであるカウンセラーか何かに「私だって女の子なんだよ」と言ってみてください、それで解決します!みたいなことを言われ、ためらいながらもその台詞をいい、泣き出す場面があった。

(もちろん番組の中では泣いちゃったハプニングも笑いの一つになっていた)

そういう、この番組は違うけど、セミナー的なみんなで傷をさらけ出しそれを認め合いましょう!パチパチパチ!みたいなものはなんだか宗教的に感じられて好まないが、こちらも胸が詰まる思いがした。

 

女の子であることを禁じられたような、あるいは自ら禁じた人は多いのではないか。

どんな人も年齢的に女の子ではなくなる。が女の子はいつまでも巣くっているのだろう。女の子なんだよ弱いの守って?の引き出しは、あけたときに受け止める人がいなければ傷つくことになる。だからぴっちり閉めておいて、しっかり自らその存在自体を隠すことが得策に思われる。かといって閉めっぱなしでも窒息する。

時々さらけ出す人を見て戸惑い、たいていは反面教師にするがうらやましくもある。

高野文子の漫画に女の子みたいなおばあちゃんが出てくる話があったっけ。

 

 

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