読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

日記

日記です

知人が地元に帰っているようだ

SNSで人の動向を知ることが多いが、SNSレベルの人付き合いの相手というか、がっつり幼少のころからの友人とか、いつも仲良しのいつものメンバーというほどでもなく、いつも一緒何でも知ってる、わけではない付き合いの、そういう人物をSNSレベルの人付き合いと言っておこうここでは。

 

が、毎日開くSNSだったりすると、毎日そのライトな人付き合いの相手の生活の一部をのぞき見ることになる。

 

そんな知人が、だいぶ前に年明けもずいぶん経った頃地元に帰っていたようで、冠婚葬祭のなにかかしら、と思っていた。

それから1か月ほどたち、どうも再び帰省しているらしい。

となると冠婚葬祭か、その布石という状況なのだろうか、そういう気持ちで見守っていたが、具体的に何があったとは示されないが、「祖母」「病院」という単語が目に入ってきた。

この知人の家族は、家族、親族、共同体を大事にしていそうなので、そこから誰かが亡くなるという状況は、とても悲しいだろうと想像すると、気の毒になる。

 

去年の6月私の祖母が亡くなった。

が、私にとってそれは一大事にはならなかった。

そうか、という感じだった。

棺に入れるときの、足袋を履かせたりとか花を飾ったりとか、そういう作業を親族として施した際はぽたぽたと涙があふれてきたが、それは長く暮らした人ともう二度と会うことも言葉を交わすこともないのだなという感覚と、アルツハイマーが進んでいたが、時折孫の名前を口に出していたという話を聞いていたので、おばあちゃんという生き物は、孫がかわいいのだな、しかしその孫というのは、つまり私は深く感傷に浸るでもなく薄情な生き物だな、という、一人の老婆の孫が薄情で老婆からの愛情は一方通行で、それはなんだか可哀相に感じて泣けてきたのだった。

 

もしも将来孫ができても、私はさして孫から愛されず大切にもされないことだろう。

 

が、このSNSの知人の家はきっと違うだろう。

家族との永遠の別れを、心の底から惜しむだろう。その悲しさを想像すると悲しい気持ちになる。