日記

日記です

受け入れがたいもの

昨日テレビのドキュメンタリーで取り上げられていた人が、一目見てどうも受け付けられないタイプだった。

ホー〇レス小谷さん。

印象としてはサイコパスかと思った。

 

いつだったか、NHKの番組でサイコパスについての講義をやっていて、サイコパスは必ずしも凶悪犯になるわけではなく、サイコパスのカリスマ性や決断力、自信、能力の高さに、その人が持つ攻撃性やモラルの程度によって、CEOにも凶悪犯にもなるらしい。その中のサイコパスについてのエピソードでこんなものがあった。

※うろ覚えですが大筋はあってるはず

ある男性が、週末の賑わうレストランに行き、「今日はいいことがあったから、この店はおれのおごりだー!」と盛り上げ、店内はわっと沸き、男は店を出た。

息子に「パパ、みんなの飲み代を払うの?」と聞かれると何の悪びれもなく「払わないよ、ちょっとしたジョークさ、でも盛り上がっただろ」と言ったそう。

(これは講義していた先生の父親のエピソード)

 

テレビでK谷さんを観ていて、このエピソードが瞬時に思い浮かばれた。

現在は何でも屋という感じで、自分のレンタル(主に相談役?)を格安で行う代わりに宿と食事を提供してもらうスタイルで、いろいろな人からひっぱりだこで日本各地に出向いているようだ。人に親切にすることで自分が幸せな気持ちになる、という方程式を上手に利用できる人なのだと思った。

会う人会う人が、魅力的で楽しい人だ、人を否定しない優しい人だ、とその満足感は高いようだった。

名言が多いのか、現在の生活もめずらしいが生い立ちも独特なのか自叙伝が出ていた。

ちなみに、ネットでページの一部の画像を出しているものがあったために目を通してみたんだけど、個人的には特に響かなかった。というか、何も言ってなくないか?と思った。

 

よくわからないけど、需要と供給が成り立っていて、結果みんなハッピーだからいいのだろう。

 

ただなぜか受け入れがたい気持ちがあって、見た目とかインパクトの強さも影響していると思うけれど、引っかかった部分を掘り下げてみる。

まず、「こんな生き方もあるんだなあ」と絶賛(?)されている自由な生き方と呼ばれるものだけど、それを見て、「お金や既成の価値観に縛られない自由な人」なのか、単に「無責任でだらしない人」なのか判別がつけられなかった。

(身なりは小奇麗だった)

ちなみに、よく目立つド派手な服装もきれいに統一感があり、一般的にホームレスになってしまう人の「人はいいんだけど生き方が下手でこうなってしまった」というような"愛すべき変人"感はない。


また、ツイッターなどで検索するに、多くの人が「優しい」「人を否定しない」と物事に肯定的な姿勢を評価しており、人生相談を持ちかける人も、自分を肯定してもらって自信がついたとか、こんな生き方もあるんだと勇気をもらったという意見が多い。

たしかに、いろいろあって自信がない、自分を追い詰めて思いつめて暗くなってしまう人にとっては、自分の肯定感を高めるために、こうした極端な生き方を見て、「そっか、こういうのもありなんだ」と気持ちが楽になるための薬としていいと思うし、効果もあると思う。

それに、生真面目な労働こそが美徳、という考え方は新しいアイデアを試すときのハードルにもなるし、それがあるから、楽しんで好きなことしてお金を稼ぐことは悪いことだと思ってしまい、人の行動を制限するものになってしまうので、どんなあり方も(モラルの範囲で)1つの方法として肯定していいと思う。


ただ、人を否定しない、という点については、この人にとっては会う人は皆、自分のスポンサー及びスポンサー予備軍なのだから、当然否定したり不快感を与えることはしないのではないか。それにどんな人も、定職を持たず家も持たず、という立場であれば「俺にしてみればみんなすごいよ、俺からは何も偉そうなことは言えないよ」と皆を肯定するのは普通ではないだろうか。

しかし、どんな人も「お守り」があると安心して生きられる気がする。こういう役割って昔は宗教が担っていたのかな。

 

なんにせよ、明るく快活で批判をしない人というのは“いい人”と言われやすい。

反面、責任は持たないよ、という姿勢である気もする。

(もちろん通りすがりの気前のいい他人に責任を求める方がお門違いだが)

批判する人は批判されるし、自分の批判の信憑性や発言の影響について責任を負わないといけない。

 

それと、もう一つ、どうしても胡散臭い・・・と思ってしまった要素として、てっきり私は一般人がSNS時代にトリッキーなやり方でバズッた例と捉えていたが、(個人的には(出来栄えはともかく)世の中のたくさんの人にチャンスがある時代は良いと思っている)彼はもともと芸人で、キン〇ン西野の後輩だそうで、いろんなイベントに一緒に名前が載っていた。

すごくビジネスの臭いがした。

 

そんなこんなで、一目見た時の受け入れがたさと、どうとらえていいかわからない、というか善人か悪人が判別がつけらず、「嫌い」と片づけてしまいそうになっていた矢先、K谷さんのツイッターのフォロワーに、面識のある人のアカウントを見つけた。

それも、かつて会った時に、K谷さんに対するモヤモヤと似た感情を持った人だったのでなんか腑に落ちた。

(冗談か本気かはわからないが、いつもネットでバズる新しいコンテンツを考えているようだった)