日記

日記です

〇ッチングアプリを使ってデートした日記

4月の終わりに一度退会した〇アーズを今月再開した。

1回くらい誰かと会ってみればよかったと思ったからだ。

しかし前回もメッセージをやり取りするうちにだんだん気持ちが萎えてきて結局フェードアウト、という感じだったので、今回はとにかくあまり深刻に考えず(つまり選びすぎず)最低2人と会うというノルマを課して行った。

先々週始めて昨日で晴れてノルマを達成した。たった2人と会っただけだけど、ある程度アプリの醍醐味は味わえたので感無量というかんじ。

そこで会った人とデートの内容・感想を記録する。

 

1人目:20代 美大

「いいね」があったのでマッチングさせた。

だってこの年になってハタチから「いいね」があったら、本心から「いいねしてくれてありがとー」という気持ちにならない?それに一体なぜ一回り近く年上の私にいいねをするのかも謎だったし、まあメッセージはこないだろうと本当に感謝の気持ちでいいねを返した。

しかし予想に反してメッセージはきて、能動的なタイプらしくラインもすすんで教えてきた。デジタルネイティブだからこうしたツールを介しての人との接触に抵抗がないのかしらなどと思う。

私自身昔は美大に入りたかったし、美大生とデートすることもこの先人生でないだろう。とりあえず今回の私の方針は、写真から受ける印象に関して「大丈夫」であればそれはGOサインと同義なのだ。20歳であればさすがにマルチ商法の勧誘もないだろうし、とにかくノルマを達成するのだ。そして話のネタにもなりそうだし・・・などと自分を鼓舞して頑張った。

現代のハタチという未知との遭遇。人間は永遠に“過去に成しえなかった事”を取り戻そうとするのだろうか。

これは、元サブカル40代が私みたいなのを食事に誘うのに似ている。40歳の文化系オジサンが、自分の得意分野について興味関心を持つ、しかし自分より未熟で自分に憧れてくれそうな経験値の浅い(と思われる)女性を神楽坂あたりに連れて行くのに似ている。

そう考えると自分のやってることに嫌悪感が芽生えてきた。

ちなみに男性が年上、女性が年下というのはよくあるが、その逆はめったにない。男から対女性に関しては圧倒的に若さ至上主義だし、自分でも確実に年齢による容姿の衰えは体感している。

それに関して、つまり年下から“オバサン”とジャッジされる懸念はもちろんあったが、一応その本人が年上が好きだと公言しているのだから、容姿の衰えが見え隠れするリアルな妙齢の女性が待ち合わせ場所に行くことに関して、気を揉むのはやめることにした。

ちなみに年上が好き、という言葉を信じきっているかというと微妙である。

世の中には、本当に女性の年齢を気にしない男性もいるらしいことは、発言小町などで読んだことがあるし、世の中にそうした逆年の差カップルもいなくはない。

ただし、彼の場合は年上に憧れる自分が好き、という時期を迎えているだけとも受け取れる。もちろん、〇〇な自分が好き、からすべて始まると言ってもいいと思う。

そうやって憧れている理想の自分を目指してそうなって行く人は少なくないし、それを先回りして他人である私が「やい、それはそういう自分が好きなだけだろ!」なんて断定する権利は無い。それに、衰え行く私にとって、若さ至上主義が過去の物となってくれた方が断然生きやすい。

デジタルネイティブとは美術館に行くことになった。

都会的な街で待ち合わせる。写真の感じはやや個性的なそれっぽい写真だったが、会ってみると写真の方がよかった。というのは顔のつくりに関してではなくて、会ってみると生身の人間っぽさがあったからだ。恐らくいわゆる生理的にというやつだと思う。

それと、自分で自分が最低だと思うけれど、身長も関係していると思う。確かプロフィールでは私より少し高いはずだったけれど、会ってみて同じくらいに見えたこともひっかかりポイントになった。

女の胸は男の身長と聞いたことがあるが、男はおっぱいが小さい女に会うとこうもテンションが上がらないものなのか。そうした下衆な男と同じ思考回路な自分が嫌になった。

それといやに距離が近い。実は会う数日前に彼からの申し出により電話で会話をしているのだが、人に電話をかけて雑談ができる男性なので、かなり人との心理的距離が近いタイプなのだろうか。

あるいは年上女性はすぐにやらせてくれる、みたいな都市伝説が若い世代に広まっているのか、女性はそうしたラブラブごっこがしたいのだと思っているのか、単に性欲と好意がないまぜになっているのか、いろいろ考えられる。

とにかく最大のマイナスポイントはそこだった。歩いている間もとにかく距離が近い。それと、のっけから手をつなぐことを提案されやんわり断っている。面と向かって断るというのは精神的にも負担になる、そうした負担をかけてくる相手にますます嫌悪が募る。長い1日になるぞ・・・

ところで、私は断るときに、そういうの苦手なタイプで・・・とか理由を付けたが、本来理由なんて必要ないのだ。私の右手は私のものなんだから、それをどうするかの決定権は私にあり、嫌なら嫌で理由なんか答えてやる必要はないのだ。

昼に集合して夕方解散というデートになった。

感想は、疲れた、しんどい、である。

私は半日よく頑張った。にこにこして、年齢を理由に見下すような態度は取らず、同時に年齢を理由に自己卑下もしない、というのを心がけた。

もちろんメリットもあった。すごく褒められる。容姿に関しても褒められる、全体的にも褒められる。異性から褒められてまあ悪い気はしない。しかし、それにしても疲弊という代償は受け取ったメリットより大きい。

それに、彼の場合は別に私を褒めているのではなく、“彼女になってくれる可能性”あるいはセックスできる可能性に対して称賛しているのだろうから。

 

友人がアプリで会った人とデートをしていると聞くと、生活に変化が起きて何か新しいことを始めているようで、転職する人をうらやむのに似た気持ちを持った。

何も変わらない生活は無意義で、新しい人と会って話すことはきっと有意義に違いない、みんなは“進んで”いる、対して私は停滞している。そういう気持ちもあった。

例えば自撮りをアップする可愛いメンヘラ女子を見たとき、その女が褒められていることへの羨ましさを押し殺しああだこうだ批判するより、自分も頑張って可愛い自撮りを載せて褒められるのを待つ方がよっぽど素直で性格がいいのだ。

そういうわけで生活にささやかな革命を起こすべくアプリを再開したのだが、ポジティブな気持ちとネガティブな気持ちを天秤にかけたら、ネガティブが勝った。

しかし、能動的で行動力があり、例え思い込みだとしても“自分はこういう女性が好き”という明確なビジョンがある彼は、きっと幸せを掴むだろう。

褒めるべき点はあった。若いからだと思われるが、踏み込んだ会話も臆せずする。自分は結婚願望があるだとか(若い人はそうだとネットの記事で読んだことがあるけど、ちょっと驚いた)、自分は恋愛対象になるかという直球の質問をぶん投げるところとか、勇気がある。例え好きな異性の前でも当たり障りない会話しかできない私とは真逆のタイプである。失敗的な経験を繰り返したとしても、きっと理想的な相手と、その願望があるというから結婚だって十二分に可能だ。

それといわゆるヤリモクだったらまあ数打ちゃ当たるからいずれヤれるよ。

 

精神的には負荷がかかった1日だった。

これでノルマが達成できるのだろうか、と先が思いやられた。

 

2人目:20代後半 会社員

デート、という現象が自分の身に起こることに対して心が躍らない。

前回もお仕事をこなした、という気持ちだったが、今回もやはりそういう気持ちで支度をする。なぜなら、デートに誘われる、という段階が私にとってはもうゴールなのだ。男性からデートに誘われる私、自分で思ってるよりイケてんじゃん?かわいいんじゃん?それが確認できればOKで、どのみち「大丈夫」な相手と数時間過ごすことに期待感は無い。

待ち合わせは渋谷。待ち合わせと言えばハチ公前だけど、私は秋田犬が好きなので当然忠犬ハチ公も好きで、愛するハチ公の前でアプリで知り合った人なんかと待ち合わせる自分は見せられない。ハチはがっかりするに決まってる。

幸いハチ公前以外で待ち合わせることとなる。

メッセージのやりとりはそつなくフレンドリーな感じだったけど、会ってみるとラインの方が明るかった。しかし一瞬脳内に「これはまさか当たりかも」という言葉が閃いた。そしてこれには長身ということも大きく関係しているだろう。

そつなくお洒落で、お洒落ずぎないメガネ、全体的にほどよいセンスの良さが行き届いている。

かつていつも思っていた「だから、ああいう普通にお洒落なかんじの人でいいの、アタシは高望みして言ってんじゃなくて、こういうくらいでいいの(に、なんでいないの?)」の“ああいう”人だった。

雑誌に載るようなイケイケなストリート系じゃなく、適度にフェスも嗜むであろう片鱗が伺えるがキメすぎてない感じ。たしかプロフィールも音楽や映画が適度に共通の道をたどった形跡が見られた。ホドロフスキーまで行かないけど、タランティーノは通過している。(私はホドロフスキーも感動したけど)

全体的にちょうどいい。ちょうどいい人。

なんというか、私が考える“普通”に生きてたらこの年齢でこの程度の服や趣味にはなってるでしょ、普通。を具現化した感じだった。POPEYEやブルータスを立ち読みすればこのくらいには誰でもなれる。

ラインの方が明るいというのもこれはポジティブポイントだった。カレー屋さんに行く道すがら適度に会話に空白ができる。頑張って会話の糸口を提供するのはちょっと疲れるが、まあ会って数分だし、前回の距離感詰め詰めよりは安心できる。

会話は終始盛り上がりを見せることは無かったが、まあ初回だしこんなもんか、という感じ。

それにしても、おそらくこのデートは思い描いていたちょうどよい相手との理想的なデートだった。

いつも神山通りを歩きながら、こういう町を散歩するカップルは羨ましかった。いつか私も、という気持ちはだんだんと「これは私の身には起きないのだな」という気持ちに変わって行った。

それが自分の身に起きている。凝ったカレー屋さん、お洒落だけど気軽なクラフトビールの店、深夜までやっているコーヒーショップ、それらをごく当たり前のように享受する男女、その女の方が私。 

イメージすることは実現する、とよくいうが、思いがけない形であっさりと実現したのだ。

それに彼はどんなお洒落なお店を案内しようとも1ミリもどや顔なんて見せない。ここはね~などと語り出さない。しかし、何についても特に語り出さない、が、それは私も同じである。人に圧を与えるような空気は出さない。控えめで遠慮がちで、そして距離が縮まらない、というデートだった。

前回のデジタルネイティブに比べ、全く踏み込んだ質問をしてこなかった。表面的な話しかしなかった。多分恐らく趣味が合わないこともない、理想的な相手だと思う。

いろいろな場所に一人でで出かけることの多い私だが、彼はさらに上の1人で某音楽フェス参加の経験者であった。これは何かが期待できる人間性ではなかったか?

茨木のり子の詩に一人は賑やかという詩がある。「まだどこにいるのかもわからない君 一人でいるとき 一番賑やかなヤツであってくれ」と締めくくられる。

そうなのだ、ぼっちが寂しいから相手が欲しい~みたいなやつは願い下げなのだ。だから一人でも静かに賑やかな人に出会いたいと思っていたし、そんな人に会ったらきっと好きになると思っていた。しかし。

見た目も遜色ない。それは大きく身長が関係しているだろう。ちっ背の高い男は得だ、こうやって割とそつなく生きてこれたんだろう、なんてことを考えるくらいには、ときめいていない。

そう、これは多分アプリをやっているみんなが通過するアレだ、見た目も会話も申し分ないが“決め手に欠ける”というやつだ。

ナシじゃない、むしろ好きになれるんじゃないか?という希望が持てる、希望が持てるんだけどウキウキしたり、自己開示したくなる感じじゃない。特に自己開示はかなり難しいとさえ感じる。なぜなら感情の発露はマガジンハウス的じゃないからね。

自己開示でいえば、前回のデジタルネイティブの方が多分できるのだ。ただしデジタルネイティブの方は年齢も、それともっと本能的な部分でナシだった。しかし生っぽさがあるからこそ恥を忍んで自己開示できる。

 

にしても、20代後半会社員、とにかく申し分ない、景観を崩さない建築のごとく公共性がありグッドデザインで無害。

ああ、だからみんな2回目も会うのか。多分私も相手から誘われれば断らない。

そして、多分“決め手に欠ける”と言えば私に対して相手も思っていることだろう。

自炊をするという家庭的な面もあり、適度に社会性のあるお洒落を実行できるし、多分痛さはなかったはず。趣味も近からず遠からず、そこそこ共通点もある。でも多分恋愛感情が発生しない。

 SATCでお膳立てされた男性とデートを重ねるキャリーのセリフにこういうのがあった。

「彼は服でいえばダナキャラン、好みじゃないけどあれば試着する」

 

どうやったら相手を異性として好きになれるか考えた。

それはやはり仕事をしている面を見ること。それは、“普段”を知りたいというのもあるし、周囲からの評判がいい人だったらきっとグラつく、が、それ以上に私にとってはギャップが必要な気がした。学生時代にはあまり必要に感じたことはないが、恋愛感情を呼び起こす起爆剤として、仕事をしている姿を見、プライベートとのギャップを感じるということが重要な気がしてきた。

例えば、仕事中は黙々と仕事をこなして周囲とあまり会話しないが、プライベートはまあ話す、とか、仕事中はバリバリ働く仕事人間なんだけど、プライベートは普通の人、とか、その程度でもギャップがあれば、意外性を見つけられれば、そこを好きになれるかもしれない。どこか可愛がれる部分が。

ヒット商品はちょっとだけ使いづらさがあるらしい。ちょっと手入れしてやらないといけない、ファスナーを開けるにはコツがいる、とか。自分が何かしてやる隙があるのだそうだ。

まあでも欲を言えばもっと読書をしていてほしかった。読書を必要とする人であってほしかった。

私が思う関東特有の“ハングリーとは無縁”な感じが、溝を埋められない要因かも。

東京との距離がそのまま理想との距離というか、渇望しなくても手に入る感じというか、だからこそ葛藤が少ない、みたいな。ああ、葛藤を抱えていてほしいんだな私は。

 

しかし、デジタルネイティブが会ってみたら人間っぽい生っぽさがあってダメだったとしたら、こっちはまるで私のデータをもとに作成されたアバタ―みたいだった。AIが私用に作り出したちょうどいい相手で、でもそこはAIだからなんか決め手に欠けるという。

年の離れたデジタルネイティブが生々しくて、年の近い適度なマガハに人間味を感じないのはちょっと面白い。

 

こうして2人と会ってみて、私はもうアプリの醍醐味を全て体験した気がする。

 

アプリのよかった面は、一応食事に誘われることで、「私は世間から無視されていない」という安心感が得られること。

そして、アプリを使って分かったことは、私自身も何か決め手に欠ける人なのだということ。それはもしかしたら、人間味がなかったり、掘っても何も出てこない感じが理由かもしれない、ということ。それと、私はコソコソ趣味の域を出ない漫画を描いているのだが、それをここで会った人には口が裂けても言えないと思っている。

私は、進んで一線を引きたい。問題があるとすればそれは相手ではなく私にあるのだろう。

一応これで私のアプリ体験は終了となる。

皆さんお疲れ様でした。来年も彼氏彼女ができなかったら、みんなで芋煮会でもやろうな。