日記

日記です

モテなければいけないと思った

なぜあの人はいつもニコニコしているのか。

新書みたいなタイトルであるが、最近モテとは何か、ということを探求しつつネットで社会学者の記事を読んでいたところ、なぜあの人はいつもニコニコしているのか、の謎が解けた気がした。単にもともとそういう顔なのかもしれないけれど。

 

発端はマッチングアプリ

マッチングアプリを懐疑的ながらも始め、まあ友人を見習ってサクサクとデートでもしてモテ気分でも味わうか、くらいの気持ちで始めたのだ。

確かに、「男性から求められている感」という手ごたえを感じたりもしたが、「それなりの人はそれなりの相手」というマッチングで、これはモテではなくオタサーの姫だ、と思ったのだった。

例えイケメンから「いいね」が来ても疑わしいのでこっちもいいねを返さないし、実は一度それを脱却しようとイケメンに「いいね」を返したものの、やはりメッセージが続かなかったのだ。自分の程度を知らされる経験となる。

しかし、どうしてもアプリで知り合った人というのは、“課金してまで相手が欲しい人”であるからして、とにかく彼女が欲しい、ただそれだけに見えてしまうという難点があった。

誰でもいいのではないか?私があれこれ趣味や価値観の一致というものに思いを巡らせ、何だかんだ“長続きする相手”を見極めようとしてしまう性分なのに対し、どうしても男性からは「彼女になってくれそうな人なら誰でもいい」感を嗅ぎつけてしまう。

2人としか会ってないが、どちらもタイプは違うにせよこちらに対して前のめりで積極性があった。ありがたいことではあるが、私は少なくとも最初のデートで“自分”を出しておらず、社会的な顔しか見せていないために、いったいどこに魅かれる要素があるのかわからないのだ。顔、だとしたらまあうれしいが、それ、ブスじゃなくて“やーらかくておっぱいとおしりがついてるXとXの染色体で構成された生命体”なら何でもいいっていう・・・違う?みたいな。

 

アプリからの脱却

で、アプリ出会う人は、是が非でも彼女が欲しい人だから、もうアプリで会う人には上記の感想しか持てないのでは?と見切りをつけて、アプリ以外の男性に接触を試みた。

というか、アプリで写真をスクロールする男性に、ほとんど魅かれない女性の方が多いと思うんだよね。

写真やらを見ても、「へえ、こういうのが好きなんだ」以外の感想がない。写真とプロフィールだけみて「どんな人なんだろ!キュン☆」なんてならない。

そのため、少なくとも私に関しては「無理ではない」程度の人に、事務的に機械的にメッセージを返すという「無」の心で「無」の作業をしていたのだ。

そうすると、少しでも気になる相手にメッセージを送ることの方が有意義なのではないか?と思い始めた。

 

気になる人にメッセージを送る

被験者は前職の取引先の、確実に年下と思われる男性である。

私が最後に出席したミーティングで、彼はうちの部長に八つ当たりをされていて不憫だった。「気にすんな」って言ってやりたかった。それを思い出し、まずは探りをいれて明らかに不自然なタイミングで「退職のご挨拶」をメールした。メールには部長のことは気にすんな的な内容と、いつまでもその低テンションを貫いてくれよ、的な文言を盛り込んだ。

そしてサクサクとライン交換まですすみ、実際に会うことになった。

で、いろいろ割愛すると、その男性も結局アプリの男性との差異がなかった、私的には。ちょっと話して解散にしたんだけど、次も誘われたので会う予定になっている、今のところ。

なんで彼がまた私を誘ったかっていうと、それはおそらく「自分に興味持ってくれてるオンナノコ」だから。貴重なんだろう、オンナノコってトシでもないけど。

つまり、彼は地方の大学から上京して、東京には会社関係以外の知人も少なく、会社以外の繋がりがほぼなく、つまり仕事以外での女性のとの接触自体が多分ほぼないのだ。

あーあー、アプリと一緒だ。

ってわけで、私のモテへの探求は打ち止めとなった。

ただ、私が送った「退職のご挨拶」の少し前、彼は上司から協調性がないとか注意されていたらしいので、少なからず私の労いのメールは彼を元気づけていたようだ。それはよかった。今回は被験者としての探りを入れる目的があったが、基本的に“与える時は無償で”がモットーだ。

 

しかし、彼の食いつきの良さ・・・“女がいない村”の住人にとっては、染色体XXの生き物と喋ったりすることが貴重なのだ。

ああ、前の会社の40歳(私たち女子社員の間では200%ナシの男)が、田舎の30代の嫁をもらったパターンと同じだと思う。

建設関係の仕事をする父親を持つその女性にしてみれば、おそらく地方でガテン系のおっちゃんに囲まれて暮らしていて(イメージです)、東京生まれ東京育ちの40歳“独身貴族”の男性なんて、洗練されて素敵にみえるのだろう。なんか訛ってないし、なんか髪とか切りそろえられているし、何か汗臭さとかないし。

それと、そもそも田舎に独身の30~40歳の一般的社会生活を送る男性自体少ないだろうし。

私もそれとおんなじ。髪が長くて、顔の凹凸が少なくて、背が低くて、爪とか口に色塗ってあって、いい匂いしてる生き物。ハイハイ、めずらしいよね。

 

これまで会った男性の記録

今までに会った男性は彼を含めてたった3人であるが、ナシだった理由を記載する。

1人目:大学生

よく自分のことを話す。多分会話は得意らしいが、こちらに関心がないのが分かる。

好意があれば相手の好きな物を知って共通点を増やしたいと考えるのが普通だと思うが、彼の場合は自分の話が中心で、そんな自分についての感想が聞きたいという感じ。

そして近い。とにかく距離が近い。課金した分“オンナノコ”を満喫しようとしているのか?

というか、こういう誤ったコミュニケーションをする男性に言いたい。

自分が女にされてうれしいこと、例えば手をつなぐとか、ボディタッチするとか、それらが例えデートに来ているからと言って女性もされたら嬉しいというのは大間違いである。想像してほしい。自分自身が、同じ男からいきなり至近距離で話しかけられたり、「手つなぎましょう」とか言われたら、気持ち悪いですよね?自分がやってんの、ソレだから!

2人目:会社員

問題なし。顔が好みではないけれど、欠点なし。

こちらの好きそうなものを調べて先回りして提案してくれたり、こちらの観たい映画を観に行ってくれたり、気配りありがとう~って感じだった。だけど、こちらの情報をトレースして反映するだけの装置になっていた。何か質問しても(多分)“おかしいと思われないこと”を言おうとするので、本心が見えない。世の中にとっての正解、あるいは私にとての正解を言おうとしているように見えた。

そこであれこれ掘り下げて質問してみても「うん、そんな感じ」とか濁す。好きな物についてなぜそれが好きなのか、価値観を知りたくて質問してみたが表面的でソツない回答しか得られなかった。例:この映画なんで好きなの?「サントラが良くて次のシーンでかかる曲なにかなって楽しみだから」みたいな。内容に触れないのはあえてなのかガチなのか・・・

まだ心を開いていないので本心が言えないのか、言語化するのが苦手で脳内にある考えをアウトプットできなかったのか、何も考えてないのかの判別がつかなかった。

嫌な感じを与えないので、嫌いにもならないけど好きにもならない。

3人目:会社員(被験者)

仕事しかしてないのかな、という感じ。

会社繋がりの知り合いということもあって、仕事の話がしやすいのだろうけど、「あ、ここ(チェーン店)、お客さんなんすよ」「この店のこれを会社のイベントで使ったことがあって」とか会社という縛りから抜け出せない。確かに忙しい会社なので仕事に割く時間が長いこともあり仕方ないのかもしれないが。

それと、「ここの店のオーナーさんに一度挨拶したことがある」とかちょいちょいステータス信者の顔が見え隠れする。

私が転職した職種を言うと「へえ、○○、いいじゃないっすか、将来性もあるし」とか頼んでねえのに評価者になてってる。まさか、まだ若いのに女性と対等に話ができなタイプ?あと、意外にも服がダサかった。

いや、いいんだけど、全然いいんだけど。

ただ、彼は中目黒付近に住んでいて、趣味がコーヒーで、ラインでやりとりした感じだど、代官山とか表参道のカフェがごく自然に出てくるし、コーヒーにけっこうこだわってる人、というのは在職中から知ってた。

なのに予備校生みたいな格好で来て、あれ??って思った。

だからなんか、ふと思ったんだよね。

この人があのイケイケな会社のノリに飲まれず、テンション低めでマイペースなとこ、好意的に受け止めてたけど、もしかしてその辺の空気を察する感度が低いのかな?って。

個人的な意見ですが、お洒落ってある意味社会性だとも思っているので、田園都市線だったか東横線沿線に数年住んでいて、カフェによく出入りするならば、自然とお洒落が身に付くはず。

それに、彼自身も自分が住んでいる町についてお洒落でいいかなと思ってチョイスした、と言っていたので何がお洒落で何がダサいか判別できる人なのです。

なのに、それが自分の服装に反映できない。と、いうことは自分の着る服には興味がないのか、他人のセンスとか流行を吸収する感度が低いのか、だと思ったのです。

だって、嫌でもお洒落になるだろ。代官山ではさ、あの人かっこいいなお洒落だな、ただのシャツとジーンズなのにな、俺がジーンズ〇イトで買った服を組み合わせても・・・おかしいいな、ああならないな、何が違うんだろう・・・?という自問自答に行きつくだろ!え?周り見てないの???

と、かなり疑問だったのです。でも古着屋行くとか言ってたんだよなー「あ、デットストックって知ってます?」とか言われてさ、あほか、こっち何歳だと思ってんだ(※年齢言ってません)

 

 

いや、こんなに批判する必要はないのだ。

ただ、彼ら三者三様に違いはあれどみんな「次も会いましょう」言うてくるから謎で。

私だって私生活で男性と接する機会は少ないものの、即「男だ☆」なんてならないから、どうにも理解できないんだよ。

だからやはり、俺のこと好きになってくれそうな相手、ひゃっほーーーい!これで俺はイケてる男認定だ~~~!!!!!みたいな、何かしらないけど“ダメなオレ”がこれで補完される!みたいな。「すき」って言われれば救われるみたいな?

ていうかマトモに働いて一人暮らしして自立してれば「ダメなオレ」ではないと思うんだけど。(でも恋愛対象になるかどうかは別として)

 

友人S

そういうわけで、こういう体験を通じて「あれはモテではなかった」という気づきを経て、真のモテを経験できなかったし、アプリ意味なかったなーと思いながら、ふと過去に「尊敬している友人S」が言っていた発言を思い出してググッていた。

それは、愛する人から愛される方法、みたいな本の話で、彼女はそうした恋愛指南書を読むタイプではないので印象的だったのだ。

しかし、その本自体は恋愛指南書ではなく、彼女の好きな社会学者が書いた「社会学の観点からよりよい人間関係を築くための方法」を記した本らしかった。

ざっくり言うと、人間にはクズと贈与の人がいる。

例えば、会社はカネ(まさにカタカナがしっくりくる)でつながっているので基本クズの集まりで、カネや損得を介さない付き合いがいい人間関係。と、普遍的なこと、様々な小説や、映画やドラマ、道徳の教科書でも書いてある日本昔話的な教訓を、ただの美談ではなく根拠を記しながら書いてあるらしかった。

で、私は少なくとも、友人関係に損得や“人脈”などのステータスを意識した付き合いを持ち込むことを好まないので、個人的な付き合いをする人に対しては、おそらく“贈与の人”であると思いホッとしたのだった。

彼女と話をしている時に、「彼氏とかに対してメリットを求めるつもりはないけれど、自分と付き合ってもこの人に何のメリットも与えられないしな、とはよく思う(だから付き合ってください!なんて言えない)」と漏らしたところ、彼女は曇りなき眼で「無償の思いやりを与えられることが1番いいことじゃない?」と言い切ったのだ。

スパッと言い切られて、そうか、そうなのか、と鵜呑みにするほかなかったし、そうした美しい事象が重んじられる世の中であってほしいという希望もあり鵜呑みにした。

そこから意識的に“与える時は無償で”をモットーとしたのが今年の3月である。

 

モテについて考えた

そんなことを思い出し、あれ面白い話だったよなーと「クズ」とか「贈与」とかキーワードでググっていた。

すると、その社会学の先生はモテについての本なども出しているのだった。

必ずしも100%同意できる内容ばかりではなかったが、その人の言う「モテる人」というのが普通によかったのだ。

というか書き方が良かったのかも。

まずは、その社会学の先生曰く、モテない人というのは自分の損得勘定と自分が承認されることにしか目が向いていない人、とのことだった。

というか、基本的にこれらは男性向けに書かれているんだけど、これを読むともう洗脳されちゃう。

まず、多くの男性は自分が承認されることに忙しくて、女性が求めるコミュニケーションの充実、すなわち“一緒にいて楽しい”が提供できないのだそう。

もうこの一文で、過去の経験がすべて線でつながって信者になってしまう。

自分が承認されることに忙しい男性・・・まさに。

とにかく身体的に受け入れてほしい感が出まくっていた距離が近い大学生、自分自身が否定されることを恐れて本心を見せない会社員、自分を大きく見せようとステータス自慢と評価者になる前の会社の被験者・・・。

認められたい、拒絶されたくない、それに必死で会話が成り立ってなかったから楽しくなかったのか。

社会学の先生は(あまり好ましい例に思えなかったけど)ナンパ師を例に、まずは相手に与えることが好かれるためには大切だと説いていた。

つまり、褒めたり、相手の話したそうなことを聞いてあげたり、ということであった。

ちなみに、女性同士の雑談ってほぼこんな感じだなと思ったりした。

「この靴かわいーどこで買ったの?」とか、「星野源好きなんだ、私も好きーいいよねー」とか、話してて楽しい。女子って自然に相手の身に着けてるものとか、それがなければもう肌とか髪とかまつ毛が長いとか、どこでも褒められそうなとこ見つけて褒めてると思う。

そうやって与えてあげると相手も喜ぶし、結果好意が返ってくる可能性も高まる、とのこと。

そういえば、身近にいるモテる人(友人兄)を例にしてみると、確かに、とにかく人を褒める。持ち物とか服とか。

そして、それはどう見ても「ヤらせてもらえるかも」みたいな下心があると思えない。そういう性分なのか、人を褒めたり、得意な似顔絵を描いたり、お絵かきしりとりなどの遊びを提案して場を盛り上げてる(私たちが絵を描くのが好きなことを知ってるので)。

で、モテてる。

 

そして、社会学の先生曰く、モテる人というのは無償で与えられる人なのだそうだ。

ナンパ師を例にされるといまいち“無償で与える”という博愛のマリア様的なイメージにならないんだけど、確かに身近なモテる人(友人兄)をイメージすれば、こういう楽しい時間を提供できる素敵な人になりたいな、とは思った。

で、この“無償で与える”話とは別の話で、クズにはいくら与えても意味ないので、クズはクズで付き合えばいいよね、贈与の人は贈与の人同士で繋がりを持てるようにした方が幸せだよね、みたいな話も書いてあったので、総合すると、楽しい人を搾取しないいい人といい関係を築いていくために、与える人になりましょう、っていう道徳の教科書みたいな、神話の教訓みたいなことがこの人の言う“モテる人”なのだ。

だったら、モテる人になりたいと思ったのだった。

それと、ナンパについての話を読んだ時、(ナンパ師とかあまり好きになれないけど)他人と接触するということへの可能性をもっと信じてもいいのだと思った。

なんでもない他人は普通に生きてたら何でもない他人で終わってしまうけど、ちょっと話してみたら、もしかするとすごい有意義な時間になるかもしれないということ。期待してもいいっぽい。

とはいえ、今後も街中の謎のキャッチに足を止めることは無いと思うが、すごく他人に対してクローズな私は、もう少しオープンにしてもいいのかもしれない、という結論に至った。

(ただし、だとすれば見極める目は養おうと思う。過去にマジで苦痛な飲み会の輪に入ってしまったこともあるし)

 

オープンになるプレ実験

そこで、私なりに一昨日の社内の納会で実践してみた。

いつもなら適当に時間をやり過ごすんだけど、今回は、たまたま立食の時に隣にいた女性社員と根気よく雑談を続けてみた。

一応ある程度人を選んではいる。前から裏表のない人だなと思って好感は持っていた。

話してみたら、真面目そうな外見とは裏腹に、マーベル映画が好きだというちょっと面白い一面があったし、今年同じ映画を観ていることも発覚した。さらに近他の女性社員と話してみたら、キリッとした感じの先輩がグロい映画大好きだったり、真面目そうな先輩がシリアス系の海外ドラマ好きだったりとか、けっこうおもしろかった。

その時に、ふと気づいた「なぜあの人はいつもニコニコしているのか」。

 

なぜあの人はいつもニコニコしているのか

ずっと疑問だったのだ。

去年のフジロック、あの人とは「S」であるが、ナンパなのか単なる偶然なのか判別がつかない男性2人組に話しかけられたとき、彼女はニコニコしていた。

可愛いしモテるからいつものことなのかな、とか、性格がいいからニコニコしているのかな、と思ったりもしたが、どうも腑に落ちなかったのだ。

ちなみに、“不特定多数の男性をソノ気にさせるのが好き”なタイプにも見えないし、かつてあるSF小説の話をした時に、その本に出てくるクールで無愛想な登場人物を「こういう強い女性が好き」と言っており、実際そのイメージは遠からず彼女に対して抱いている。

「ニコニコする」という行為には、ある意味弱者の防御が含まれていると思う私は、ナンパにニコニコするのは嫌いなタイプである。

ヤれねえかな、って思ってるヤツにニコニコしてやるなんてもったいねえ、って思っており、しかもヤレないと分かったら掌返しで死んだ目で去っていく輩だって少なくないし、そういうタイプにニコニコしてやった時は悔しさがある。下手すりゃ舌打ちされて不用意に嫌な気分にされる危険もある。

それと、この行為にはいじめられっこが思考停止に陥ってニコニコするケースにも重なる。強いやつに睨まれないためにニコニコしてへらへらするなんてばかになりたくないじゃないか。

その観点で考えた時に、彼女は、そんな自分の尊厳をあえて下げるような振る舞いを進んで選ぶ人とは思えなかった。

そのため、防御のためにばかを演じてニコニコするという選択肢はないだろうと思った(一方的なイメージにすぎないのだけど)。

そうすると、相手が悪い人ではなさそうだし、フジロックというお祭りの場なので、ある意味「音楽を愛する人は皆友達」精神でニコニコしていた?とも考えたり、職業柄・・・とかいろいろ考えたけど、いまいちしっくりくる答えがなかった。

というか私が過剰反応しすぎなんだけど。私が他人を警戒しすぎなんだけど。(だってマジで怖いんだもん、いつ「うっせーブス」とか言われるのかと)

しかし、この社会学の人の記事を読むと、なぜ彼女がニコニコするのか分かった気がした。

いい人かもしれない、楽しいかもしれない、というポジティブな方向に賭けるとけっこう有意義なこともある。

もし違っても、引き際を自分でしっかり見極められるなら大きな損害は無いし、楽しかったらお互いにいい時間が過ごせたってことでOKなのだし、それを経験的に知っていたのかも。(ついでに言えば、無償の思いやりが大事という基準でいけば、彼女は良い時間を提供できる自信があるだろうし)

なんでもない出会いであっても、損得勘定なしの関係が万が一築けたら、それは尊いものなのだろう。

 

結論

ちなみに、モテとはまた別の話で、その社会学者の記事を読んでいると、損得勘定で動かないで、無償で与える善い人になることの大切さを教え込まれる。※本買おうと思いました

おそらく、大半の人間が無償で与えること、ボランティア的なこがいいことだ、と分かっているし、そうあるように努めているだろう。

見返りを求めるなんて浅ましい、と分かっていても、やはり時々思うような結果が得られなかった時、心の中に黒い点が広がり、もっとタフでシビアで合理的な人間にならなれば、と実際的なモノを獲得する方向に目を向けたくなる。または、せめて誉めてくれ!という気持ちにはしょっちゅうなる。

 

しかし、やはり善い人間関係に身を置いて、その人たちに恥じない生き方や選択をするという主軸は最重要なのだと再確認して心が洗われた。

ちょうど今週、今年出たサリンジャーの短編を読んでいることもあって、モテ、善い人などの背景には、これまでに読んだサリンジャー作品とも重なる部分があると思った。

つまり、フラニーとゾーイーで言う「ふとっちょのおばさまのために靴を磨く」ことで、ホールデンの言う「ライ麦畑でおっこちそうな子供を捕まえてあげる役」をやることなのではないか。

なんか、この結論にたどり着いただけで、マッチングアプリやった意味あったじゃん!と思えた。

そして、アプリやるよりナンパした方はやくね?とも思ったのだった。

写真と違うとかないし、アプリやってみて分かったけど、どうやら私は男の人からキモがられはしないみたいだし。

アプリを捨てよ町へ出よう。

("アプリ"がネックにならない人ならアプリでもいいと思うけど)

それに、マッチングアプリでスクロールするなかで、ピンとくる人のいないことを思えば、喫茶店とか古本屋とかで稀に見かける「この人なんでここに来たんだろう?」という(好意まではいかなくとも)ポジティブな関心が持てる人のなんと貴重なことよ。

 

ペイフォワード

ついでに言えば、万が一ナンパをするとなれば、その分有意義な時間が提供できる人になるために、ナンパされてよかったって思ってもらえる人になるために、おばさまのために日々靴を磨こうと思える。

個人的な経験として、人から受けた感動はその人に返すのはもちろんたが、他の人に"回す"ことをしたくなる。

自分が感化されて自分もそうなるということ。

時々そうして私によい影響を与えてくれる人々がいる。

ペイフォワードを実践することは悪くない。

この数週間、なぜあの人はニコニコしているのか、の問いが解かれると同時に、さらに他の"あの人"があの時ああ言ったのはなぜか、あの人の行動原理はこれなのではないか、など、他の点と点も繋がっていった。

Sからは高慢さや傲りは感じられないが、意識的に人に対していい影響を与えよう、という心づもりがあったのではないだろうか、という気がしてくる。

模範として善く生きること、それを誰かが受け取り善意をペイフォワードしていくことはとても意義のあることだと思った。