日記

日記です

お父さん嫌いが治らない

小学生の頃から明確にお父さんが嫌いだったけど、それが思春期の一過性のものではなく、今でも地元に帰ってもほぼ口をきかないし、話しかけられるとイラッとしてしまう。
確かに、よく言われるように家も母から父の悪口を聞いて育った。
父親はダメなやつ、という刷り込みがあるのは確かかもしれない。

しかし、単に母に操られて嫌いになってるだけなのか。
世の中には、同じく母親が父親の悪口ばかり言っていたとしても、大人になってからは、普通に会話したり、時々ご飯を食べたりする人もいる。

ちなみに、何年か前、父が一人で東京来たことがあったが、私とは連絡も取っていないし会ってもいない。多分私も食事を提案されたとしても断っていただろう。

この年末の帰省でも、私はまた父に軽く失望と軽蔑の念を深めた出来事があった。

年末に帰省すると、たいてい私が買ってきたお土産や、その他もらいもののちょっといいお菓子などを食べながらお茶を飲むのだが、毎回その時に使うティーカップやお皿などを眺め、どこがいいとか、誰にもらったとか、そういう話をする。
私もわりと食器などは好きだし、母もそうである。そして最近、母の知り合いがいらないからと、さまざまな食器や調度品をくれたらしく、家には昔以上に食器が増えた。

そして毎度のことだが、一通り食器のデザインや使いやすさについて話した後は、決まって母が、身近にいる食器に興味のない人、食器などのブランドやそれに裏打ちされた品質の良さなどを意に介さず、ぞんざいに扱う人について「物の価値がわからない人」と非難し、物の価値がわかることは教養や嗜みと捉え知っていなければならないのは当然、という論調で話をすすめる。

母は時々婦人画報を買い、お茶やお花を習い(私にも習わせたがる)、お金も稼いで教養も豊かな"立派な人"と交流かあることをやや鼻にかけるところがあるので、先のような発言をしている時は気分が乗るのだ。(うちは貧乏なのだが、母の実家はそれより豊かだったので、優雅な精神を目に見える形で維持したいのだろう)

するとたまたま近くに来た父が話に入り、母がこの間来た◯◯さんという人はその価値のわからないひとの代表格だった、というような愚痴をこぼし、父も
「んだ、んだ、そったらごどもわからねばどうしよもね、(私を指して)物の価値ちゃんとおしえでやれ」
と言い去っていった。
地元は東北なので親はめちゃ訛っている。

母に迎合するために適当に愚痴につきあった、まではまあ許せるが、明らかに父より食器や家具に興味をもっている私をダシに使い、さらに的外れな前提に立って、結果的に私を侮辱する形となった。

少なくとも、食器うんぬんに関しては、昔から私は母と対等に話している。
それを見ていながら無知であると判断するならば、父は観察力や分析力に欠けすぎているし、はたまた、私になにかとコミュニケーションを試みる割には、まるで私のことを見ていないかのどちらかである。

こういうところ。
私なりに考えた父親が嫌いな原因である。
以下のようなメモを残して帰って来た。カレンダーの裏に。
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昔から思っていた。
父はテレビや新聞に書いてあることを、さも自分の考えから生まれた言葉かのように、それらしく口にする。
しかし、もちろん自分の経験や、自分の知っている事柄と結びつけて考察し、その上で弾き出された答えではないので、己の行動や普段の発言との整合性が取れていないのだ。
そのせいで、まるで重みのないテキトーな発言にしか聞こえない。
それも、テキトーにギャグをかましたわけではなく、テキトーに聞こえてはいけない戒めの内容や教訓めいたワードを言いたがるので、"言ってみた"感が強まり、余計に"考えていない"感を強調する。
例えば、久々に帰省し鍋を囲む私に対し、なんの脈絡もなく「な?みんなで食べるご飯はおいしいだろ?」とか、こたつでスマホをいじる私に「スマホのながら歩きは危険だぞ」とか、とりあえず目についたものと、よく抱き合わせにされる文言を口から発してみる、という感じである。
この言葉の浅さ、トリプルファイヤーの歌詞に使われる「田舎に行ったことがあるか」とか「もぎたてのトマトを食べたことが…」とかの、"良いことの代表格として用いられるけどその真偽を確かめた人は少ないもの"よって、"真偽なんか関係なく、世の中の人が神妙な顔してそれっぽく垂れ流してる言葉"の仲間入りができると思う。

ついでに、私が子供の頃に"お父さん"という人に嫌悪を抱いていた原因を解明したので記録する。
※全ての父親がこうだと言いたいわけではない

お父さんと会話するのはなぜ嫌か。
それは、お父さんという人は、なぜかコミュニケーションを取りたいのか、何かを示して娘から好かれたり尊敬されたいのか、とにかくその糸口として会話を試みるが、それがとにかく"気に入られたい"感が出ていて気持ち悪いのだ。

例えば、母親が娘に「あ、ジャニーズの◯◯くん出てるよ」と言うのは、単なる雑談で娘に気にいられることが目的じゃない。

しかし、父親というのは「あ、ジャニーズの◯◯くん出てるよ」と娘にいうことで、自分は娘のことを分かっているよとアピールし、気にかけていることを気づいてもらい、さらに娘が好きな芸能人がテレビに出ていることを教えてあげたことで好かれたいのだ。
つまり、見返りが欲しいらしい。

父親が求めるのは娘と対話することではなく、パパすごい、パパ大好きという評価なのである。

さらに言えば、自分が娘から好かれたいばっかりに、娘の好きな芸能人を利用しているため、こずるいし娘の好きなものを踏み台にする、という行為自体が娘を侮辱している。
さらに、好きな芸能人をエサにコミュニケーションが取れる、娘が好きなものを与えてあげれば娘を攻略できる、と安く見積もっている時点で、娘という存在は自分よりも格下だと思っていることがわかる。対等には見ていない。

ついでに、今の例では、娘の好きなものを把握しているだけマシである。
まるで娘の性格や好みを理解しておらず、つまりは、その人間性に興味をもっていない時点で"家族がある"ということの単なる証明書的な存在にすぎないのだが、まるで的外れな「ほら、キムタク出てるよ」と玉森くんファンの娘に呼び掛けて、任務完了、と思っている父親もいる。

私の父親も(母親もそうだが)私という人の性格や人間性に興味がないのに、コミュニケーションは図りたいというのは、体裁以外にほかならないのでは、という気がしてくるのだ。
幸せな家族、というのを再現しようとしているが、表面的に取り繕おうとしているだけにしか見えないし、なぜ幸せな家族を演じたいのかもわからない。
しかし、会話が弾んでいる風に感じられれば、幸せな家族を築いたぞ!と満足できるのだろう。
そういう短絡的な満たしかたでいい、という結論にも腹が立つのだった。