日記

日記です

言わない人 追記

とある日曜日、友人にラインをした。

「例え好きなものであっても、感想とか言わない人や、内容を聞いても出来事の羅列になってそこに自分の解釈とかを介在させない人ってなんでだと思う?

単に国語力の問題なのかな。

ちなみに、本や映画、音楽などが好きで、流行る前からそれらを知っていたりする程度には、文化系に明るいものとする。」

きっかけは、先日子供が生まれた友人宅に遊びに行ったところ、友人曰く「自分の子供だけど、全然思い通りにいかなくて、ああ、他人なんだなあと実感する」と言っていたことに端を発する。

 

あまり気にしたことはなかったが、こうした何でもない風景や出来事から、人生観や子育て観、何らかの持論がひらめいて、出来事とふと浮かんだ哲学をリンクさせて話すタイプとそうでないタイプがいると気づいた。

その友人は、私がある賞に応募するために描いた漫画を読んで、そこに出てくる「映画の感想らしい感想を言わない、またはこちらに探りを入れてその感想に合わせようとする男性」について、「わかる、やだ、好きになれないのわかる」と言っていた。

 

もちろん、極端だし偏見のある例だが、例えば野球バカのような相手であれば、映画の感想だとかグダグダ言わないのもなんとなくわかるのだ。

そこまで興味もないだろうし、ハラハラドキドキしてエンジョイできれば満足だろうし、別にそれでいいと思う。

何かを見て何かを感じそれを言葉にするとは、ないよりはあった方がいい能力だと思うが、それが必ずしも必要な仕事はないし、お金稼ぎに直結しないし、特に昨今は経済的であることが何よりも優先されている気がする、儲かる・儲からないを絶対的な基準に据えることが浅ましいことではなくなった時代、なおさらこんな能力は無くても何ら困らない。必要ない人にとっては必要のないものだ。

 

しかし、例の男性はというと洋楽が好きでフェスにもよくいき、音楽をテーマにしたような映画作品も好んで観に行くタイプだった。

つまり、私の感覚で行けば好きなものについては、どこがどういいか好んで語りたくなるものではないかと思ったのだ。

たまたま観た映画は好みじゃなく何も思わなかっただけかもしれないが、彼は割とほかの事に対しても、「うん、いいんだよ~」くらいの回答がほとんどで、それを分解して詳細を付け加えるということはなかった。

が、関係も浅く知人程度の親しさしかなかったので当然と言えば当然であった。

 

しかし、この距離感が遠い相手であればまだしも、多少近い相手であっても「語らない」タイプはいる。

友人はそれらを「考察しない勢」と名付けていた。

考察は必要か不要かという点は置いておき、個人的には考察が好きなのでそれを話し伝えたときに手ごたえのある相手だと嬉しい、というか逆に「・・・うん、あーそうだね」という人だと寂しいし悲しいし一緒にいても話したくなくなるので、交際となると難しい気がした。(映画館出たとき語り合ってる人の会話を聞いてなんか冷めることもあるけれど、どちらかというと考察派である)

ちなみに、今「映画の感想言わない人」で検索したところ、ヤフー知恵袋に「私はそういう感想を言ったり、自分の考えを述べるのが苦手で‥何と言ったらい いか分からず困ります」

という投稿を見つけた。

なぜどのように苦手かまで教えてくれ~!と思ってしまったが、苦手である理由を言うのも苦手だと思われる。

 

そこで、友人の回答がこちら(長いので省略している)

語り合ってもおかしくない仲という想定で!とのこと

①国語力

吸収するのは好きだけどそれをかみ砕いて外に放出するのが下手

でもこの理由ってのは少なそう

自分から本読んだり好きなものの情報取集する人なら国語力低いだろうかって感じ

②素直に言えない

他人の意見を聞くのが癪、否定されたくない。または、自分より詳しいと複雑?(好きなシーンとか言い合わないとか何らかのプライドありそう)

③過去に痛手を負ってるから好きなものほど言えない

 

そしてしばらくこれについてまたライン上で考察し合い、①~③の複合型という結論に達した。

自分の考えを言語化することが苦手で言いたいことが伝わらない経験が多すぎて、結果「表面的な話の方が心地いい人」になった。

確かに、自分の考えを発表することは結構しんどい、些細なことでも「変なの~!」とか言われたら不安になるし、全否定されたら傷つくし、それが続いたら嫌な気持ちになる。

例えば私は運動が苦手なので、50M走とか一生やりたくない。

走る姿も無様なので見せたくもない、そうした自信のなさを考察に置き換えるなら、言葉にしようとするとみっともなくなることが多くて疲れる、よってなるべく避けたいのだろうか。

となると、よっぽど人と違う考え方をしている人で発言するたびに白い目で見られてきたのだろうか。(コンビニ人間みたいに)

あるいは「合ってない環境」にずっといたのだろうか。

私は④何も考えてない、というのも考えたけど。

 

最初、否定される不安が付きまとい考えが言えない、否定しなくても心の中では馬鹿にするかもしれない、という相手への信頼の低さ、あるいは周囲への警戒があるからと考えていたが、もしもコンビニ人間的な理由だとすると、言っても変人扱いされたうえ、デリカシーなく根掘り葉掘り聞かれたうえで勝手に人間性を批評され、彼らの思う「正しさ」に思考を矯正しようとおせっかいをされることにうんざりしている、ということだろうか。

裏を返せば、感想を言わない人というのは他人の自分と異なった考えに反発心が芽生え否定したくなる人なのではないだろうか。(コンビニ人間の場合はそうではない)

または、ある程度考察したものの、他人の解釈を聞いてみたらまさにしっくりくることが多く、自分の読みが甘いことを自覚していて、かといって合ってるかどうかわからない解釈を口走ってしまって理解力の低さが露呈されることはプライドが傷つくので避けている、と同時にその作品が理解力という点が重要か否かの判別がつかない。そして、理解していなくても、好き・嫌い、という単なる好みでのジャッジは悪いことだと思っている?など。

 

しかしいずれにせよ、例えば私の前で「うん、まあ、そんな感じ」という態度であれば、単に信頼されていないのだろう。

 

ちなみに、例の感想を言わない男性がそのタイプだったとして、しかし今後仲が深まれば「考え」というものを打ち明けられる関係になるのかもしれないが、私の場合はその前段階で躓いた形である。

深い関係になっかてから深い話をする人と、深い話ができるから深い関係になる人といるのかもしれない。

 

ところで、この「言わない人」の特徴として、深い話云々以前に、いつの間にかこちらの価値観を反映した話し方、内容になっていることがある。

 

たしかに、接しているうちに考え方や使う言葉が似てくるということがあるかもしれないが、例えば先週私が言っていたことを、翌週になって自分の意見として言っているところに立ち会うと嫌な気持ちになる。

話すパターンやエピソードを似せてこられるのは嫌だと思った。

例をだせば、「だって普通Aを選ぶならBも知ってるもんじゃん?」と私が話た翌週には、相手が全く別の話題で「だってAを知っているならBなんて余裕で答えられるよね?!」と言っているような。

この前私が言ってたことを、さもずっと前からお互いの間で共有されていた概念のように持ち出す行為。「1984年」の世界にいるように、過去が改ざんされているように感じてしまう。

それが続くと、その人が自分の考えではなく、他人の考えを写し出すテレビのように思えてしまうし、そういうタイプは常にいつでも「有利な方」につく尻の軽いに人間に思えて警戒してしまう。

 

ちなみに例の男性は、「いつのフェスで××のライブで○○生で聞いたときは・・・泣いた」と居酒屋で会話が途切れた際に言っていたのだが、それは私が前に「去年フジロックで初めて戸川純みたんだけど感動してめっちゃ泣いた」という話をしたから、トレースしただけでは?と思ったのだった。

確かに普通の会話でもそうしたことはよくあることだ。

ふと思い出して「そういえば俺も似たようなことがあたなあ」と思い付いたのかもしれない。

または、気を使ったのかもしれないが、なにか共通項をアウトプットするために、「泣いた」エピソードを探しだして来たように見えた。

その場で、あ、俺も○○のライブは泣いた!とか被せてくるならわかるが、なんだか私が好みそうな話を私の話し方で真似て見せてるようで居心地が悪かった。

まあ、好きじゃない相手だから「寄せて」来られるのがうっとおしかったとも言える。

 

しかし、何度も言うが、自分が「これはAだと思う」と言ったことを、次会ったときに相手が「やっぱりそれはAなんだよ」と前から知っていたかのように言われるの、釈然としないし気持ちが悪い。

よく自分が言ったことも他人が言ったことも覚えていない人もいるらしいが、そういうタイプは、他人が言っていた印象的なことを自分がもともと考えていたことだと疑わないのだろうか。

もちろん私も、テレビや本、他人の言ったことに影響はされている。

しかし、それと先に書いたトレース状態は同じではないと思う。

考察しない人、言わない人、それは人それぞれだと思うが「他人の言ったそれっぽいことを自分の意見にしてしまう人」は常に「正しそうな人」を見極めてついていって、その場にあると思われる「正解」を探り出すのが会話であれば、会話も交流もひどく疲れるのではないだろうか。

相手にとっての正解を予想し、それを間違わないように注意する、そのために相手が自信を持って言っているように見える言葉を、次に会ったときに「これってこうでしょ」と放ってみれば、相手は自分の事を「分かってる」と思ってくれる。

そんな信頼の築き方ってあるのだろうか。

取引先などに契約してもらうための手段としてなら私もやるだろうが。

そうしたコミュニケーションの取り方をする人は、きっと同じように「場の正解」を探り、自分の意見より「正しそうなこと」を話して自分の評価を下げないようにする、そういうタイプと一緒にいる方が居心地がよく馴染むと思われる。

同時に世の中の大半はそうやって生きていると考えていそうだ。

 

とりあえず、私が喜びそうなこと、ではなく、率直に自分の意見を言ってくれる人を大切にしようと思う。