日記

日記です

贈与

ネットの記事でついつい成功する人、お金が貯まる人の特徴だとかを読んでしまう。
たいてい流し読みだが、さっき読んだ記事のなかで面白いものがあった。
以下コピペ
彼は世の中の人々を、受け取るだけの「テイカー」、もらえばお返しするバランス派の「マッチャー」、そして惜しみなく与える「ギバー」の3種類に分類し、どの人々が最も成功しているかを調べました。

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結果としては、ギバーか成功する人に多く、そして成功しない人にも多かったというものでした。つまり与える相手を見極め、搾取する人は切ってきたような人が成功する人なのだそう。

これを読んで、ふと去年友人の話していたことを思い出した。
損得勘定なしに与える人と、カネで繋がるクズの話。
ある社会学の先生いわく、贈与の人は贈与の人と付き合うのかよく、クズとは関わらないか、クズと関わるときは自分もクズになれ。とのこと。

この贈与の人がまさにギバーである。

ふと、幼馴染みだった元友人はテイカーであったと思った。

高校時代、弓道部にいたのだが、私は毎月の部費を親に申請するのが言いづらかったため、自分のお小遣いから出すか、或いは払わない月もあった。
ちなみに、家計が苦しくてそれでもどうしても弓道をやりたかった、とかではない。
単に親にお金の話→親から勉強の話→説教、という流れになるのが嫌だったので親に何かを頼む、ということを避けていたのだ。

それに部活もたいして好きではなかった。

で、そんなわけで部活の人間関係の愚痴などを話ながら、幼馴染みに部費払った?と聞かれたので払ってないと答えたところ、「私はちゃんと払ってるんだから、ちゃんと払ってよ!!」と言われたのだった。
ちなみに彼女は学級委員長タイプでもなくよく部活もサボっていた。
しかし彼女にとっては、自分がお金を払う、つまり自分が金銭的にマイナスを被っているのだから、友人だけがその被害を免れるとは、友人だけ得をしているではないか!ということである。

私にしてみれば彼女は親からお金もらってきてるだけで、彼女自身の財布が寂しくなるわけでもないのに、と思った。
さらに正しく私を批判するなら、みんなのお金で恩恵を受けている、申し訳なくないのか!などだろう。
ちなみに、今にして思えば、弓道部のさまざまなメンテナンスなどにお金が使われたのかもしれないが、当時は大会のお金も移動費も全て別途支払いをしていたので、なんのための部費かわからなかった。

私が損してるんだから、お前も損しろ、の友人だった。

他にも、今日はみんなでカラオケに行くため部活をサボるから、1年の人数が少なくなるため、私には「ちゃんと部活行ってね?」と言ったこともあった。
ちなみに、その日は私もサボった。
翌日私がサボったことを知ると、「行かなかったの?!」と、まるで子供の不正を咎めるような母親の口調で、驚きと失望と怒りの目を向けていた。

また、部活のゴタゴタがあり、一人の友人が辞めると言っため、私も辞めようかなと漏らしたところ「最初弓道部に誘ったのはあなたなのだから、私を置いて辞めるのは無責任」ということも言われた。
彼女か弓道部で辛い思いをして友人もいないのなら分かるが、彼女は仲のいい友人もいたし、大会にも選ばれていたので、私が辞めたところでなんら不利益はないはずだ。
しかし、私がさしてうまくいってもいない部活から解放されるのは、自由をつかみとったかのようで嫌な気持ちだったのだろう。
自分の目の届く範囲で、うまくいかず損している絵を見せ続けてほしかったのだろう。

これだけだと、幼馴染みがテイカーとは思いにくいかもしれないが、自己の利益を守るだけでなく、他人のいい思いも阻止したい、自分より得をするなら糾弾したい、そんな性格だった。

私なら夢にも思わない言葉たが、例えば私が何か得したなら「分け前をよこせ!」と平気で詰め寄るタイプだ。
いつだったか通学路でお金を拾ったことがあったのだが、みつけたのは私だったものの、あとから来た幼馴染みは、半分こでいいよね?と言ってきたのだ。
もともとラッキーで舞い込んだお金だったので分けるつもりでいたが、当時は相手からいきなりそう言われた時の何とも言えないモヤモヤを消化しきれなかった。

先ほどから部費を払わないとかお金を拾ったとか、モラルが低いエピソードばかりなので、偉そうに「与える」などと言えないが。

にしても、「いい思いしたんだから分け与えろ」とは、冗談で「奢って」くらいは言っても本気では一度も言ったことがない。

こういう時相手はさまざまな理屈をつけてくるものだが、それを言えば私だって、高校時代は冬になるとほぼ毎日その幼馴染みも乗せて父親が車で学校に連れていったので、ガソリン代を請求してもいいことにはなる。
それ以外にも、例えば無形のアイデアのようなものや、私の発言や視点を生かして利益を得た人はその分を私に分配するというのだろうか?

しかし、これってマッチャーの考えだ、もらったらお返ししなくちゃ、というポリシーに生きる人の意見。なのでテイカーには通用しないだろう。
イカーにしてみれば、証拠がないのでさようなら。だ。

そうなるとやはり、テイカーとの関係は切るか、自身も対等にテイカーになる(成り下がる)かだ。

人の役に立ったり、無償の思いやりで行動するのはけっこういい気持ちだと思う。
相手が喜んでくれたり、または頼ってくれたりというのは嬉しい、そう思えるのはたまたま私がギバーと関わりを持ってきたからだろうか。

例の幼馴染みはテイカーだったのだろうか。
おそらく私自身がテイカーでないためか、世の中そんなさもしい人がいるのかと信じられない。
考えられるとすれば、せいぜい、幼馴染みは私のことを見下していて、だから自分より得をするのが許せなかった、という発想。
彼女も、尊敬する友人、憧れる友人にはギバーになったのではないか?と思うのだ。

しかし、その友人とは10年以上前に関係が切れている。