日記

日記です

ぼくイエ読み途中

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読み始めた。

まだ最初の数十ページであるが読みやすくリアルな外国文化の話は面白い。

5時に夢中の誰かのコーナーで紹介されていて気になっていたが人気のようなので購入したのだった。

 

イギリスに住む白人と日本人のハーフの少年の生活を日本人母が書いたもので、カトリックの水準高い小学校に通っていた少年が、やや荒れた地域に属する家から近い、公立のやや荒れた中学に進んだところから書かれている。

 

この本を読んで早くも印象的だったのが、イギリスでは演劇の授業が科目として用意されており、それはコミュニケーション能力を高める目的であるらしいこと。

確かに、アメリカのドラマでも学生たち、それも日本の「演劇部」などに見られる声優志望のちょっとアニオタチックな学生ではないチア部のような学生が、主役を得ようと頑張る姿を見たことがあるが、どうやら海外(っていってもイギリスとアメリカしか例が出ないが)では演劇はこんなにもしっかりと認知されているらしい。

そういえば、「フラニーとゾーイー」でも「ロリータ」でも、学校で結構気合い入れて「舞台」をやるエピソードがあったっけ。

ちなみに、「ぼくイエ」曰く、演じることによって他社の考えを理解し言葉にする能力が身につくという考え方に基づいているらしい。

さらには、幼稚園(保育園だったかも)の頃から自分の感情を把握し人に伝える学習を行うとか。

というのも、低所得者の住む地域にある学校などは、家庭環境の良くない家に育った子供もおり、無表情だったり感情を表現できないことがあるらしい。

その場合、同様に他人の感情を読み取る能力が身につかないことがあるらしく、幼稚園では怒った顔や泣いた顔から感情を読み取る学習を行うそうだ。

 

それを読んでびっくりした。

昨日もアメリカのティーンの映画を観ていたが、たいがいアメリカのティーンはディベートとホームパーティーをやっており、私はよくある外国の風景として眺めてきたが、やはり本来、寧ろ本来は、そうやって自分の感情や考えを整理してアウトプットすることは、技術として誰かが教え学習して方法を身に着けていくものなのだ。

ちなみに、何かの本でアメリカでは子供の頃に相手の考えを否定せず自分の考えを伝える授業を行うと目にしたが、アメリカ、イギリス、のみならず広く欧米ではそうした教育が行われてるのではないだろうか。

そうやって、感情のまとめ方、伝え方を正しく身に着けていると思われる人と、例えば私とではきっと雲泥の差であろう。

きっと誰もが自分が何をどう感じたかを自分でしっかりと把握し、正しく相手に伝えられるのだから。

それならばきっと、以前にもブログで書いたが、建設的な相互理解に向けて質の高いコミュニケーションが図られているのではないだろうか。

もちろん、詭弁で面倒をすり抜けるという不誠実な方向にも活かされるとは思うが、多くが率直な(ずけずけ言いたいことを言うという意味ではなく)コミュニケーションをとっているのだろう。

で、私は正しい伝え方など知る由もなく、このまま解像度の低いコミュニケーションを繰り返して死んでいくのだろうと、ちょっと遠い目をした。