日記

日記です

メモ程度

例えばアプリであった人、話してて「うーん」とか「うん…」とかの返答が多く、モノ・コト(って字面嫌いだけど)体験を通じてどう思ったのかという回答から相手の価値観を知るべく、もっと深く質問してみようと思い「じゃあこの映画のどんなとこが好きなの?」とか聞いても「そう、〇〇っぽいとことか」と私が先に言った感想めいたものをなぞる回答しかしなくて、テキトーに返してんのか、こっちを信用してない(お前に言ってもわかるわけない的な?)のか、何も考えてないのか、人に何か感情や思考について話すのが苦手(恥ずかしい)のか…?(←可能性として1番想像しやすいのがコレ)

といろいろ考え、結局は相手のことを好きになることもなかったのでフェードアウトになったんだけど、アプリ以外でも、この人本心話してるの?なんか私が前に言ってたことをそのままリピートして言ってないか?なんで合わせてくるの?なんか今この場でもっとも多数決的に正しそうなこと言ってない?馬鹿にしてるの?親しくなる気ないのかな?

と思うことは少なくない。

 

で、今までは「空気を読む」という一般的な行動が原因、または自分の意見を言うのが恥ずかしい、など考えてたんだけど、こういう可能性も、低いだろうけどあり得るのか、と思ったのがこれ。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

最近は大人のADHDとか、なんでもかんでも発達障害と絡めるネット記事も多いので自己判断できるものじゃないし、安易に障害と決めるのは危険だと思うけど、意見や感想が言えない、というのが性格に限らない?という発見。

とはいえ「病気だ!」なんて決めつけるのはあまりに横暴だし、しかもYahoo!知恵袋で一般の人が話題にしている程度なので鵜呑みにはできないが、結構興味深いなと思った。

 

個人的には思考や感情の言語化を丁寧に行う人が好きで、そういうことは考えない、という人に対しては、あまり興味ないだろうなという理由から、関係が浅い人とするような上辺の会話をしてしまうことが多い。

ただし、相手が本当はあれこれ考えていて言いたいけど言えない、という場合はこっちの態度としてはどういうのがいいんだろう、と考えた次第でした。

 

言えない、と言いたくないは全然違うしな。

 

昔読書感想文が苦手だったので、こっちはわりとなるほどなと思った。

omo-kichi.com

 

これは面白かった。なるほど!という感じ

liftingdiet.firebird.jp

だって、本当のところは分からないわけですから、究極的には、A君はそういうことをした/言った/そういう人だ、という事実があるだけで、目には見えない内面的な理由について、外面的なことだけから、「A君は何々だと感じたから、こういう行動をとったのだろう・・・」云々、そんなことは口に出したくないのです。

だって、他人は他人、自分は自分で、その境界線をはっきり認識しているから。

どんなに想像しようとも、それは究極的には自分の勝手な思い込みでしかなく、「相手の気持ち」というものは本質的に絶対にわからないものであるという点を理解しているのです。

 

↑これ言う人一定数いるなと思う。

だからといってそういう人はみんなアスペルガーなんですね、とは思わない。

私は逆のタイプだけど、一定数支持されている意見だと思った。

多分、誤読しないし論点ズレもしないんだけど、主観は言わないという。

ちなみにうちの父親は誤読するし論点ズレするしまさに“読めてない”タイプなのでここには当てはまらない。

 

でもそうなると、やっぱり主人公の心情がどーだとか、この場面はこういう意図が…とか語ってるのを見て、「そんなこと言っても所詮は憶測でしかないのに…」とか疑問に思われてるのかな?と思うと複雑。


わりと、小説とか創作物だと、後から作者の解説が読めたり、インタビューを見たりして、自分の読みが当たることがあるので、その楽しさもあってあれこれ思案したり感想を綴るのも好きだし、考えるだけでも楽しいが、そもそもそこに魅力を感じない、興味がないという人がいるのだ。(根拠はないが多い気がする)


その中でも、

理解しているが語ることを好まない人

理解しているが語るのが不得意でできない人

理解することに興味がないので話すこともない人

理解しているつもりだが正解かわからないので語ることは避ける人

理解できないので語らない人

あたりに切り分けできるのだろうか。


ちなみに、思案したり語るのが好きな人は、作者の意図通り読めていると嬉しいが、正解にこだわっておらず、作者の意図と違う読みをしていても、その違いという発見も楽しい、というのがあると思う。

創作物の理解には正解もあるが、作品は受け手に委ねられるものでもある、という矛盾を受け入れている気もする。


結論としては、感想言いあうのは感想言いあうのが好きな人同士でやって、そうじゃない人と話すときは違う話題を、ということか。

 

とはいえ私も昔、書かされるお手紙(学校とかで)とか、今も仕事で自分でもよくわかってない仕事についての質問をするのがすごい苦手、でもこれは分からない、とか興味がない、というのが原因かも。

あと人との会話における「質問」が超苦手で、これ聞いたらマズいかなとか、不快じゃないかなとか考えて質問ができない。

これは何らかの症状に当てはまるのだろうか。